『磁石論』 |
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「もし私が他の人たちよりも、より遠くを眺めることができたのだとするならば、それは、巨人の肩に乗せてもらったからです」
ニュートンよりフックに宛てた書簡より(1676年) |
ギルバートはまず、先行研究についての文献をすべて読み、それらを吟味することから始めました。しかし、期待したほど得るものはあり ませんでした。 そこで、ギルバートは自分で実験を計画し、それを実行に移しました。ギルバートは自然に産する磁石、いわゆるロードストーン(英語ではloadstone または lodestone と綴られます)、および人工的に磁化された鉄片の両方について、その性質を調べました。 ギルバートはさらに、誘導磁 化、 すなわち、磁化されていない鉄片を磁石にくっつけると、その鉄片は一時的に磁石となり、永久磁石と全く同じ性質を有するようになるという事実についても充 分に理解していました。ギルバートは磁気だけでなく電気(エレクトリックというのはギルバートの造語)に関する実験も行っており、両者の間には何らかの関 係が ありそうだと考えていたようです。 |
ギルバートは次いで、小さな磁石の針("versorium")を球形の磁石の表面に沿って動かすと、それは実際の地球上での 方位磁針の動きを忠実に再現することを実験で確かめました。小さな磁石の針は、球形磁石の「接平面」内で考えたときに北を指すのみならず、この「接平 面」に平行な軸の回りに回転可能としたときにそれはやや下向きを指し(上の図参照) 、1581年にロバート・ノーマンによって発見された「地磁気伏角」さえもそれは再現したのです。 小さな地球の模型「テレラ」を用いたこれらの実験を通して、ギルバートは、ある確信 - それは、後にギルバートの最も大きな発見となりました - を抱 くに 至りました。方位磁針の地球上での奇妙な動き、それは、地球自体が一つの巨大な磁石であることから生じたものに違いない、とギルバートは結 論付 けたのです。 |
『磁石論』の原著はラテン語で書かれていますが、
2種類の英訳が出ています。一つは、P.F.モットレーによるもの(1893年刊)で、これは現在でも出版されており、ドーバーブックスから13ドル95
セ
ントで購入することができます。もう一つは、S.トンプソンによるもの(1900
年刊、豪華な本)であり、本サイト中の文章はここからの引用です。英訳されているとは言っても、回りくどく難解な文章に埋め尽くされたこの書を読むこと
は決して容易ではありません。しかし、それを通して、我々は、ギルバートがいかに磁石という難物に挑み、そこから何らかの意味を引き出し、パズルのように
からま
り合い、しかも互いに矛盾するように見える実験結果に対して、何とか論理法則を当てはめようと模索する姿を見ることができるのです。これぞ、現場
の生の科学の姿
でしょう。 ニュートンは巨人の肩に乗ることができたのかもしれませんが、ギルバートは地面からすべてを作り上げなければならなかったのです。 |
ギルバートは、極
めて鋭い観察眼を持った科学者でしたが、多くの場合、それだけでは謎は解けませんでした。ギルバートは、静電気の働きが湿気(たとえば、人の呼気中の湿
気)によりなくなること、ただし、油の膜で覆われているときはそうはならないこと、そして、水滴自身さえも静電的な力に引かれることに気づいていました。
磁化
された鉄は、赤くなるまで熱すると磁力を失うことも知っていました。にもかかわらず、火をはさんで磁石と鉄片を置くと、磁石は、火の向こうに置かれた鉄を
依然
引きつける能力があることを見い出していました。 これは一体どういうことなのだろうか?ギルバートはその解釈に悩み、苦悩したに違いありません。
一度答えが明らかになってしまえば、人は、知らないこと、判らないこと、合理的に解釈できないことなどから生じる心のもやもや から解放されます。 『磁石論』を読んでみると、おそらく、そのような感覚を実際に体験することができることでしょう。ギルバートは、熔けた鋳鉄はほとんど磁性を持たないの に、そ れから作られた鉄の長い棒は、両端を磁極とする磁石になるということを正しく記述しています。でも、どうして、なぜ?我々にとっては、「それは当然でしょ う」と頷くことはたやすいことです。「熱せられた鋳鉄がキュリー点を越えて冷却するときに、地球の磁場(地磁気)を捕捉・獲得し、それが棒状の形状の中に 閉じ込 められて、両端が磁極となるのである」と。しかし、それは今だから言えることなのです。今は今、当時は当時なのです。 ギルバートが主張したことの中には、現在では否定されていることもあります。ギルバートは、天文学的な北と地磁気の北がほとんど一致 する ことは偶然にしては出来すぎであると考え、地磁気の直接原因は地球回転であると信じていたようです。20 世紀の半ば、P.M.ブラケットが似たような説を一時唱えたことがありましたが、これも、現在では完全に否定されています。天動説がまだ優位な時代であり ながら、地球の自転 については、ギルバートはこれを疑う余地のないものと見ていました。ギルバートは、もし地球が万物の中心であると仮定した場合、地球の周りを回る天体の速 度を 試算すると、信じられないような大きな速度が必要となることに気づいていたのです。 これに関連して、忘れてはならないことがあります。1600年というのは、ジョルダノ・ブルーノが火あぶりにされた年でもあるという こと です。地球が回るということを持ち出す時は、宗教の教義に触れないように、細心の注意を払わなければなりませんでした。エドワード・ライト は、『磁石論』の紹介文の中で、以下のように述べて、宗教教義との衝突を避けようとしています。
もし、地球の自転が地磁気の直接原因であるとするならば、方位磁針は必ずしも正確な北を指さず、少しばかりのズレ(今 日では「地磁気偏角」と呼ばれている)があるという事実は、どのように説明したらよいのでしょうか?ギ ルバートは、大西洋の北部海域においては、このズレは常に近くの大陸に向く方向であることに気づきました。つまり、大西洋の北東部ではヨーロッパ向きに、 北西 部ではアメリカ向きにずれるのです。これに対するギルバートの洞察は、以下のようなものでした。もし地球が完全な球体であれば、方位磁針は正確に北を 指すはずであるが、実際の地球は大西洋という「へこみ」や、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカなど周囲を取り巻く大陸などの「でっぱり」があり、これらが磁 石を引き付ける性質を持つために、方位磁針は必ずしも正確な北を指さないのである(海水はどうも磁力には貢献しないように思われる)。 |
方位磁針を、この球形ではない磁石の表面に沿って動かし、ギルバートは、自分の推測が正しいことを確かめました。へこんだ部分から遠くと、へこんだ部分の
真ん
中では、方位磁針は正しく北を指しましたが、へこみの周辺部分では、(図でははっきりしませんが)方位磁針はへこみのない方向に少しずれた方向を指したの
です。これは、実際に北大西洋で方位磁針がヨーロッパの近くではヨーロッパ、アメリカの近くではアメリカと、近くの大陸の方角に少し偏差を生じる事実と全
く
同じでした。 大陸や海洋のような地表面の凹凸は変化しない(少なくとも人類の歴史程度の時間内には)ことから、ギルバートは、方位磁針の天文学的 北からのズレは時代に関係なく一定不変のものであろうと予言しました。 |
残念ながら、実験事実に基づいた予言でさえ、後に間違いと判ることがあります。 ゲリブランドが1634年頃、地磁気は時間と共に変化することを発見したのです。現在でも、国際標準地球磁場モデル(IGRF)が10年程度で常に新し いデータに更新されなければならないのは、まさにそのためなのです。 そして多くの、本当に多くの、格調高い文章をギルバートは残しています。これが目に留まらない現代の編集者はいないでしょう。ギル
バー
トの言葉に比べると、現代の論文など、取って付けたような語句の羅列ばかりです。たとえば、地磁気伏角(ギルバートの言葉では
"declination")を、航海中に曇天でも緯度を知るために用いることを提案している一節は以下のように書かれています。
ギルバートは地磁気伏角を測定する装置の設計さえも行いました (図はここをクリック)。 実際には、この装置で緯度を精密に知ることは難しいのですが、現代では、 心配御無用。私たちはギルバートよりもはるかに優れた位置測定法である、全地球 測位システム(GPS)の恩恵に預かることができます。しかし、ギルバートほども詩的な言葉でGPSを賞賛した人は、きっといないと思います。 そして、今でも磁気ブレスレットの効力を信じる人は、ギルバートの言葉に耳を傾けるとよろしい。
『磁石論』が世に出されてから400年、我々の地磁気、あるいは磁気一般に対する知識と理解は飛躍的に進みました。その真の意味をか
みし
めたいと思うならば、『磁石論』、あるいはその一部だけでもいいから、実際に読んでみるべきでしょう。
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社会的背景については: 1600年のロンドン
急ぐ読者は: ギルバートから1820年までの磁気学 もっと深く知りたい(そして、大きな図書館に入場可能な)方は: 1944年7月29日に発行されたネーチャー誌の第154号には、ウィリアム・ギルバート生誕400周年を記念した2編の論文(英文)が掲 載されて います。ギルバートの人なりおよび業績について詳細かつ学術的な記述があります。もっと深く知りたい方には一読を強くお勧めします。 William Gilbert and the Science of his Time Sydney Chapman. p. 132-136. William Gilbert: His Place in the Medical World Sir Walter Langdon-Brown, p. 136-139. |
原著者: Dr. David P. Stern
原稿更新日 2001年11月25日