News and Announcements [in Japanese]
地磁気センターニュース


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地磁気世界資料解析センター News No.89 2005年1月24日
 
 
 
1.新着地磁気データ
 
      前回ニュース(2004年11月30日発行, No.88)以降入手、または、当センターで入力したデータの
  うち、主なものは以下のとおりです。オンライン利用データの詳細は
  (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/index-j.html) を、観測所名の省略記号等については、観測所カ
  タログ(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/obs-j.html) をご参照ください。
  また、先週の新着オンライン利用可データは、
  (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/wdc/onnew/onnew-j.html)で御覧になれ、2ヶ月前までさかのぼること
 もできます。
 
      Newly Arrived Data
 
        (1)Annual Reports and etc.
 
              NGK (Sep. - Oct., 2004),  LOV, ABK (2002), SOD, NUR, OUJ, HAN (Nov., 2004)
 
        (2)Kp index: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html)
 
              Nov. - Dec., 2004
 
        (3)Magnetogram Digital image files :
 
              TUC (1957 - 1961, 1968, 1969, 1966, 1970),  TKT (1966, 1976),  KNT (1964, 1965),
              KOR (1957, 1964 - 1967),  MJR (1954 - 1957),  ZAR (1965),  ABG (1998),
              BNG (1957 - 1978),  NGP (1998),  PND (1998),  TRD (1996, 1998),  UJJ (1998),
              VSK (1998),  ASO (1953 - 1955, 1957, 1958, 1960 - 1962, 1964, 1965),  FRD (1957 - 1960)
 
        (4)Tellurigram digital image files :
 
              BOX (1958 - 1960),  MNK (1963 - 1977)
 
 
 
 2.Dst指数、AE指数とASY/SYM指数
 
    2004年7月~11月のDST 指数Quick Look Dst指数 (Provisional) を算出し、関係機関に配付しまし
た。なお、Quick Look Dst指数(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/dstdir/dst1/quick.html) 、および Quick
Look AE指数 (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/aedir/ae/quick.html) は1日以内の遅れで当センターのホー
ムページから利用できます。また、2004年11月分の1分値ASY/SYM指数を算出しホームページに載せ
ました (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/aeasy/index-j.html)。
 
 
 
3.Provisional Geomagnetic Data Plots について
 
  世界各地で測定された地磁気1分値データをプロットしたProvisional Geomagnetic Data Plotの2004年
11月までのポストスクリプトファイルが利用できるようになりました。図の形式は2日分が1画面です。
(ftp://swdcftp.kugi.kyoto-u.ac.jp/data/pplot)。
 
 
 
4,伊能忠敬の『山島方位記』から19世紀初頭の磁針偏角を割り出し活用する
 辻本元博(日本国際地図学会会員)
 
(1)当初の動機 伊能図の中の朝鮮の山々の同定
 
 約200年前の伊能図には「朝鮮」と大書して朝鮮の山々の絵姿と山名、山頂への方位線が方位角入りで
描かれている。但し、朝鮮の海岸線は一切描かれていない。(以下19世紀初頭当時の事に付いては朝鮮と
表現する)
 対馬北端と韓国南岸釜山間の距離は約60km以上もあるが、確かに可視である。
 伊能小図(神戸市立博物館・グリニッジ海洋海事博物館他蔵)に朝鮮の山6山が対馬側の7個所の地点
からの方位線と方位角入りで、伊能中図(大日本沿海輿地図・東京国立博物館蔵)には方位線無しの3山を
足して合計9山が山名入りで描かれている。
『伊能図に学ぶ』1998 東京地学協会 朝倉書店 長岡正利 伊能忠敬の見た山々とその方位線
 
 
 
 
 
 但し、これらの山名はいずれも現代の韓国道路地図には記載されていない山名になっており、同定解析を
試みた。方位角は十二支=360°、一支=30°=10分、1分=3°(おそらく「分」は「ブ」と読む)「半」=1.5°
の単位により表示されている。
 現在の海図上で方位線の復元を試みたが、伊能図の様にはうまく測量対象地点である韓国の陸地には収斂
せず手前の対馬海峡西水道の海上でやや不規則に収斂した。
 収斂位置がかなり手前になることは元国土地理院の長岡正利氏により報告されている。
 
(2)『山島方位記』から復元した方位線に共通する角度のズレ
 
 伊能測量隊により磁石付きの方位盤で実測された山・島・岬・岩礁等の磁針方位角を記載した『山島
方位記』(重文・分冊六十八巻伊能忠敬記念館蔵)の中から『山島方位記五十九・六十』に記載の文化
10年(1813年)対馬北部からの朝鮮の山々測量方位角の方位線を海図に復元することにした。『山島
方位記』に記載の方位角は最小5′単位であるのに対して、『伊能図』の方位線に記載の方位角の単位は
1.5°(90′)単位と非常に粗く、『山島方位記』の方位角単位の18分の1の精度にしかならず且つ伊能図の
方位角は切り上げ、切り捨てが為されており、『伊能図』に記載の方位角の再現だけでは方位線がうまく
収斂しない二大原因であることが判明した。
 
 
        
          『山島方位記 五十九』伊能忠敬記念館所蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『山島方位記』に記載の方位角は十二支=360°、次に一支=30°一支未満の角度を〇~二十九、次に1°
未満の分単位を0′から5′単位刻みで〇〇~五五の表示になっている。他に京都大学図書館蔵「伊能
大図對州」伊能忠敬の「測量日記」對馬藩の「測量御用記録」等と「地形図」との照合及び対馬での現地
調査により、伊能図の記載より多い朝鮮測量の地点16個所全部の概略位置を地形図上に把握した。
 『山島方位記』には各測量地点での複数の方位盤による同一測量対象の測量結果が記載されているが、
その中から余程異常なデータを除外した平均の方位角による方位線を国際海図と韓国道路地図を接続した
図上で最少単位0.5度の自作の分度器と、対馬からの韓国の山並みの鮮明な写真を元に自作した対馬北端
からの韓国連山パノラマ図も併用して復元すると方位線の収斂点は韓国の陸地に到達し、山並みの列なる
付近でほぼ収斂した。但し、方位線の収斂位置は特徴のある山の頂上・島の頂上とはややまちまちながら
も共通した僅かな角度差でずれる結果となった。
 韓国の経度緯度のデジタルデータ等は入手不可能な為、上記の通り図上での方位線の再現と分度器による
角度の読取りを行なった。
 
(3)角度のズレを当時の対馬北部の磁針偏角と仮定することで同定を実現
 
 角度のズレは概ね西偏約2°30′ 程度を中心とする角度差であるが、現代の対馬北部の地形図に記載の
磁針偏角西偏6°50′~6°59′とは異なる。これは地磁気が地域によって異なり時代により永年変化する
ことによるもので、伊能測量隊による1813年の朝鮮測量時の対馬側の測量地点に於ける磁針偏角であると
考えるしか他説明がつかない。
 『山島方位記對州』に記載の対馬北部(上県地域)からの朝鮮片側測量の方位線の収斂位置は主に西偏
約2°30′前後に分布する結果になった。
 上記西偏約2°30′を磁針偏角と仮定して算入した方位線を海図上に引き直し、地形と照合することで
同定作業が可能となり、下記の通り日本語朝鮮山名呼称の同定結果を得た。
 
 
伊能図山名 大韓民国道路地図等の山名(或いは日本海上保安庁海図他の山名)
○盗賊浦山 望山 379m 望山北東約6.5kmの港邑「陶蔵浦トジャンポの山」の意(当時の日本語朝鮮地
      名では「浦」の朝鮮語固有語の「ケ」を「カイ」と読み、「トーサンカイ」と呼ぶ他に「陶
      蔵」の日本語音読み「トウゾウ」と「浦」「カイ」が音便化し、「トウゾッカイ」を漢字では
      「盗賊浦」と書いたものと考える)平均西偏約2°39′10″
 知世浦山 加羅山 581m 巨済島最高峰加羅山北東約2.5kmの港邑知世浦(日本語朝鮮地名「チセイカ
      イ」)の山の意。平均西偏約2°32′00″
 矢筈山  ピョヌルパゥイ(稲叢岩)の北西約250mのピーク。ピョヌルパゥイは南部面鶴洞里西方にあ
      る二股状の岩峰(老子山系稜線上)。現地確認は未了(巨済市案内パンフレット及び鰐浦から
      の写真で判断)方位線6本の内2本がピョヌルパウイの北西約250mのピークに収斂。1本が
      ピョヌルパウイの1km南東のマヌルパゥイ(大蒜岩)を通過、1本はその南側を通過、2本は
      前述の加羅山を通過し、加羅山との混同といえる。いずれの山にも矢筈形に見える岩がある。
      絵姿の特定化は未了。
○玉浦山  玉女峰 555m 玉女峰の北約4.6kmの港邑玉浦洞の山の意。玉浦は日本語朝鮮地名では「ヲ
      ッカイ」。平均西偏約2°49′54″(以上巨済島)
○加徳山  烟台山 459m 加徳島の最高峰
○九的山  九徳山 565m 釜山西郊の山、韓国語発音「クッツォクサン」が「クテキサン」に変化。
      但し、伊能図の絵姿は九徳山の姿であるが、収斂位置は1800m西南西の乗鶴山スンハクサン
      496mになる。一部にフテキ山という表現もある。
○牧嶋   太宗山 250m 釜山湾影島南東端の高麗太宗の旧跡 伊能図記載方位線の収斂位置は太宗山。
      「牧嶋」は日本語朝鮮地名で「マキノシマ」と読む。
      蓬莱山 395m 釜山湾影島最高峰 伊能図の絵姿は明らかに蓬莱山。
○水営山  萇山  634m 釜山東郊の水営(朝鮮国海軍基地左水営があった)の北東の山、水営の山の
      意。古来萇山族の言い伝え有り。
 カレイ山 タルム山588m (旧朝鮮総督府地形図では鷲峰)東海岸の釜山直轄市機張郡日光面の山、タ
      ルムとは鶏タルが鳴くウムである。対馬北端からの距離は約73km鶏冠を立てて日本海(東海)
      の日光海岸に向かって鳴く鶏の姿に似るが、対馬の方向から望遠鏡で見ると絵姿の通り美しい
      三角の鋭鋒になる。方位線の収斂は「カレイ山」2件と「カレイ山左」3件の合計5件がタル
      ム山に収斂し、「カレイ山仝右」3件はタルム山の北約10kmk大雲山、「カレイ山四」1件
      はタルム山と大雲山の間を通過する。「カレイ」の語源は不明。
(○印は伊能図に方位線及び方位角の記載有り)
 
 山島方位記記載の山名等の同定解明にはこの角度のズレの算入が不可避である事がわかった。又この角度
のズレを算入することで山島方位記記載の「魚釣瀬」が北兄弟島に「牧嶋キッチャク」という地名が釜山
港の明治時代の海図に朝島の北東に直吉チッキルと記載のある岬に合致した。この他朝島を通過するデータ
には文禄慶長の役時に影島のこと或いは影島に日本軍が築城した倭城を指した「椎木島」、及びそれに関連
する「椎木崎」という地名が含まれている。
 但し、以上は飽くまで地図上での方位線の再現に伴い現れた現象からの磁針偏角の推定である。以下この
角度のズレが磁針偏角であるということを再度検証する。
 
 
(4)対馬側の朝鮮測量地点での当時の磁針偏角を『山島方位記』のデータで解析する
 
 本来の磁針偏角は、『山島方位記』に記載の朝鮮測量の各地点で同時に実測された対馬の島内の測量対象
地への方位角のズレを解析するのが順序であり、伊能図に掲載の朝鮮測量地点7箇所に絞って検討を加えた。
磁針偏角である以上各観測地点に措ける角度のズレは全円上で可能な限り万遍無く近似となることも基本
条件となる。
 
 測量地点及び測量対象地点の各緯度経度をインターネットの国土地理院ホームページの地図閲覧ソフトで
確認し、紙地図上の図法による影響を極力避ける為、同ホームページ測地部の二点間の方位角算出ソフトに
上記の緯度経度を入れて方位角を求めることにした。
 算出した方位角と山島方位記記載の角度の平均との差を比較したところ結果はやはり西偏2°30′の前後
に集中する傾向になった。7箇所からの193件の方位角データは地点別・対象別に仕分けると72種類に
なる。
 
 
 
 
 
(注)佐須奈村は同じ地点での隊長伊能と副隊長阪部の重複測量と見做し偏角は一つに纏めた。厚崎からの
データは視程が約4449m~5573mと近距離間であり、下記理由から平均偏角の計算から除外した。又、
郷崎からの測量の内、浅芽湾岸の各測量対象地点へのデータは視程距離が至近過ぎる為か1°50′ 程度や
3°前後程度と狂いが大きくなる傾向が集中し、狂いの出た7種類21件を除外すると郷崎の平均偏角は
2°34′となり、その結果全体の平均偏角は2°27′36″になる。今回はこの値を採用する。この他佐須奈
の中にも同様な例が含まれるが無視した。原因は上記閲覧ソフトにより求めた相互の位置の緯度経度の
最小単位が秒止まりで、例えば郷崎付近では南北約30.83m東西25.55m~25.39m程度のマトリックスの
範囲に互いに区画されることで視程10km以下程度の比較的近距離の場合は方位角が狂うものと推定され、
早期改良を期すこととする。
 
(5)種子島でのズレの解析結果と対馬でのズレとの比較及び今道周一氏の偏角地図の推定等偏角線との
      比較による再検証
 
①現代の九州周辺の地形図や磁針偏角図では一様に南下すると西偏の磁針偏角が小さくなって行く傾向が
あるが、山島方位記のデータから解析した角度のズレにも同様の傾向がないか比較検証することにした。
 
 
      
        『山島方位記四十六』伊能忠敬記念館所蔵
 
 
 『山島方位記四十六』記載の1812年の種子島からの遠距離測量の方位角のズレを解析して上記1813年の
対馬での方位角のズレと比較した。種子島西岸南部の島間崎から北へヨジケ崎(住吉岬)・種子島北端の
御崎(喜志鹿崎)から遠距離測量の薩摩半島開聞岳北西約86~63km・硫黄島(鬼界ケ島)西約63~
72kmに付いて山島方位記記載の方位角の6件の偏角は西偏0°50′ ~西偏1°08′ で平均偏角は西偏
1°02′ になった。1813年の対馬北部での平均西偏2度27′36″と1812年の種子島での平均西偏1°02′
 の両者の偏角の差は種子島で西偏1°25′ 余りの減となる。
 
 
 
 
 
 現在の偏角では対馬北部~中部の西偏6°50′~6°59′に対して種子島北部~南部は西偏5°40′~
5°47′ であり両者の偏角の差は約1°11′ 程度減で当時の1°25′ 減は現代の磁針偏角ともほぼ共通した
傾向が現れる結果となり、当時の対馬と種子島間でのズレの差と現代の磁針偏角の差はほぼ同傾向を示した。
 
②今道周一氏(1894~1989)作成の東西0°の推定等偏角線との比較符合。
 高齢の今道周一博士(元柿岡地磁気観測所長)が1984年に作成の「1800年における等偏角線図」に点線
表示した推定等偏角線と上述の対馬・種子島間の解析結果とを比較した。上述の『山島方位記』のデータ
からの対馬北部と種子島における相互の方位角のズレの解析結果の通りの傾向が続くとすれば、当時の
磁針偏角東西零度が実在したとすればその等偏角線の通過位置は種子島の南端からまだ遥か南南東
約260km奄美大島の東方、東経132度北緯28度付近の太平洋上あたりではなかったかと推定する。今道
博士の点線表示の推定等偏角線は後年の実測データと計算値からの推定により描いた極めて推定の略図で
あるが、今道氏の図では当時の磁針偏角東西零度の推定等偏角線は東経132度付近では北緯29度30分付近
を通過することになっており、南北約190km程度の差はあるが、基本的に今道周一博士作成の等偏角東西
推定零度の線とも符合する結果となった。
『伊能図に学ぶ』1998 東京地学協会  朝倉書店 第一〇章 西川治氏論文 伊能忠敬の顕彰史再考 伊能図と
地磁気の人脈 図5参照
 
(6)結論
 
 上記理由から1813年の対馬測量時及び1812年の種子島測量時の各方位角のズレは当時の磁針偏角である
といわざるを得ない。19世紀初頭の伊能忠敬の測量当時の日本周辺での磁針偏角は確かに小さかったが、
恰も日本全国が東西0°でもあったかの様な概念は妥当性を欠くことになり、対馬北部では西偏約2度
27分36″ の数値から約2°27′ ~約2°28′ 程度、種子島では西偏約1度02分となる。
 
(7)『山島方位記』から解析した磁針偏角の活用
 
 山島方位記から測量当時の磁針偏角を把握することで伊能の測量成果の詳細内容を解析し、地学
(取り分け地磁気学)・地誌・歴史学に役立つ資料としての活用が期待できる。
 又、測量日記、伊能大図等はこの解析過程での重要な手がかりとなる。
 
①『山島方位記』には奄美大島以南、知床半島他及び北海道北部を除く19世紀初頭のほぼ日本全国、但し、
江戸以西を主に概算で約二十万件程度の方位角データが収録されている。旧海軍の海図作成に伴う偏角の
漸次観測開始も明治初期以降であり、それより約70年程度古い我が国自前の実測データを科学的方法に
より解析すると日本全国規模の各地の磁針偏角資料になる。
 
②『山島方位記』の記載山名等の解読には測量当時の各測量地点の磁針偏角が不可欠な鍵となる。伊能図に
記載の有無に拘わらず『山島方位記』記載地名の位置探索が可能となり、地名の変遷を辿る資料にもなる
だけでなく、各地での当時の日本人の山等の位置認識感覚の資料にもなる。大韓民国南岸に付いては当時の
日本人が使用していた独得の地名も含まれる。
 測量当時には存在し、現在は詳細位置不明の施設遺跡或いは測量当時には言い伝えられていた遺跡地名の
位置割り出しにも役立つ。
 例 対馬の江戸時代の佐須奈遠見番所、文禄慶長役時の椎木倭城の支城存在推定地(釜山直轄市影島区
朝島)、文禄慶長役時の対馬北端大浦湾周辺の城砦遺跡。
 
謝辞
 伊能図に掲載の韓国の山々の同定に付いては大韓山岳会の李泰洪氏より国境を越えての格別の理解と
暖かい支援及び示唆に富む貴重なご意見を賜り解析同定が可能となりました。元大阪府立高校歴史教職員
澤池俊造氏(旧姓名堀内利三、京大経済昭和28年卒)より地磁気の永年変化に付いて要となるご教示、
元国土地理院の長岡正利氏からは『山島方位記』紹介、対馬歴史民俗資料館の宗家文書資料協力、須川英之
氏には望遠写真提供を賜ったことを茲に記し、厚く御礼を申し上げる次第です。
以 上 
(2004.11.10 寄稿)
 
 
 
5,2004年12月のKp指数及び 地磁気静穏日、擾乱日の訂正
 
 上記につきまして、算出元のGeoForschungsZentrum (GFZ) Potsdam
(http://www.gfzpotsdam.de/pb2/pb23/ index_e.html") より下記のように訂正通知が来ております。2005年1月
21日に当センターのデータも訂正されましたので、それ以前に取得された方はお手数をおかけしますが
再取得をお願いします。
 地磁気静穏日、擾乱日も変更されています。
 
>Thu Jan 20 17:07:42 2005
>Subject: Kp Recalculation December 2004
 
Dear colleagues,
 
Due to resent 31 December Eyrewell K numbers, we had to recalculate the Kp numbers for December 2004.
You will just receive the recalculated tables of this month. Please note, that the 5 International Quietest and Most Disturbed Days are also influenced.
Please excuse me for the troubles which are connected with this.
 
With my best regards
Joachim
 

本ホームページについては右記まで: iyemori@kugi.kyoto-u.ac.jp