地磁気世界資料解析センター News No.80 2003年7月31日 1.新着地磁気データ 前回ニュース(2003年5月23日発行, No.79)以降入手、または、当センターで入力したデータの うち、主なものは以下のとおりです。オンライン利用データの詳細は (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/index-j.html) を、観測所名の省略記号等については、観測所カ タログ(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/obs-j.html) をご参照ください。 また、先週の新着オンライン利用可データは、 (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/wdc/onnew/onnew-j.html)で御覧になれます。 Newly Arrived Data (1)Annual Reports and etc. NGK (Mar. - Apr., 2003). SYO (2001), SOD (2002), SOD, OUJ, HAN, NUR (Mar. - May., 2003) (2)Digital Data Geomagnetic Hourly Values: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/hyplt/index-j.html) HTY (Jan. - May 2000), KAK, MMB, KNY (May - Jun., 2003) TUC, NUR, HUA, TAN, BOU, SBA, BEL, HBK, MCQ, TSU, FRD (2002) Geomagnetic 1 Minute Values: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/mdplt/index-j.html) HUA, TSU (2002), TAN (2001), PIU (Apr. - Jan., 2003) HTY (May 2003), KAK, MMB, KNY (May - Jun., 2003) Geomagnetic 1 Second Values: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/shplt/index-j.html) YCB (Apr., 2003), KAK, MMB, KNY (May - Jun., 2003), HTY (May, 2003) (3)Kp index: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html) May - Jun., 2003 2.1時間値Dst指数の算出と配布および1分値ASY/SYM指数の算出 2003年4月〜2003年6月のDst指数 (Provisional) を算出し、関係機関に配布しました。ご希望 の方は、郵便またはファクシミリにて当センターまでお申し込み下さい。なお、Quick Look Dst指数 (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/dstdir/dst1/quick.html) および Quick Look AE指数 (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/aedir/ae/quick.html) は1日以内の遅れで当センターのホームページか ら利用できます。また、2003年4〜6月分の1分値ASY/SYM指数を算出しホームページに載せました (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/aeasy/index-j.html)。 3.地磁気古記録の保存 1940年3月24日の磁気嵐の急始部(SC)が、1868年以降のSCの中で最大であるらしいとわかった (地磁気センターニュース77号参照)。柿岡地磁気観測所はこのSCの鮮明な記録を残しており、その 振幅は273nT以上と報告されている。米国の記録を調べるため、米国海洋大気局(NOAA)のWorld Data Center for STP, Boulder (コロラド州ボールダー市)に問い合わせたところ、アナログマグネトグラムの サービスは止めた、オリジナルデータがNARA (National Archives and Records Administration、米国国立 公文書館)にあるはずなので照会して欲しいとのことであった。NARAのホームページを調べたが要領 を得ないので、米国航空宇宙局(NASA)のゴダード宇宙飛行センター滞在中であった家田章正氏(現名 古屋大学太陽地球環境研究所)にメリーランドのNARAで調べて貰ったところ、 地磁気記録はデンバー 市のNARA、Rockey Mountain Region にあるらしいことがわかった。2000年11月6〜8日に、第2回All WDC Conference がNOAAのNational Climatic Data Center(ノースキャロライナ州アッシュビル市)で 開かれたので、その前の数日間デンバーに立ち寄って国際地球観測年(IGY, 1957-58)以前の古記録の調 査を行った。 NARA、Rockey Mountain Regionは、デンバー市西郊Denver Federal Centerの広大なキャンパス内にある。 初日は、ボールダーWDCのJoe Allen氏とSusan Mclean氏が来て調査を助けてくれた。ここでは、資料保 管室には入れず、不十分なカタログを頼りに資料箱を指定し係員に出して貰ったボール箱をあまり広くない 閲覧室で調べる。箱には数観測所のマグネトグラムが期間も一定しないまま詰め込まれ、他の種類のデータ (例えば電波伝搬や重力など)も一緒になっていることもあって、開けてみないと中身がわからない。コピ ー(有料)は出来るが、これも係員に頼まねばならず能率が悪い。二日間で11箱を調べたが、役立つデー タを見つけることは出来なかった。 その後、ボールダーのWDCを訪ねたが、やはり、アナログマグネトグラムは一掃されてセンター内に はなかった。Joe Allen氏と市の東はずれの倉庫へ行って調べたがカタログには載っている地磁気古記録の マイクロフィルムコピーは見つからなかった。 以上の経験から次の問題点が浮かび上がる。 (1)データは古くなると使用頻度が下がるが、データセンターにはそのようなデータも保持する責務が ある。学問の進展により新しい視点が生まれ古いデータが必要になる場合があるからである。 (2)科学データの整理・管理にはデータの内容と使用方法に対する理解が必要である。外交や政府関係 の文書管理を主務とし、科学の専門家がいないNARAの科学データ管理には無理がある。 (3)NARAの文書には重要度に応じて保管期間が決められているはずであり、永久保存に指定されない 限り廃棄の危険性がある。廃棄されれば、地球進化の歴史を知るための貴重な古記録が永久に失われ ることになる。 第2回All WDC Conference が開かれたNational Climatic Data Centerの地下には、天井が高く部屋の端か ら他端が見えないほど広い特別設計のデータ保管室があり、そこの棚には全米から集められた気象・気候関 係の計算機可読でないアナログ記録が観測野帳にいたるまで整然と保管されていた。中には今後誰も使わな いであろうと思われるものもかなり含まれているようであった。NARAとの関係を聞いてみたが、全く無 関係でデータ送付は考えたこともないとのことであった。NASAの宇宙科学データセンター長のJoe King 氏も、NARAはブラックホールのように入ったものが出てこなくなるからデータを移すことは考えられな いと言っていた。 同じ米国国立機関でも、置かれている状況と上層部の考え方によって上のような違いが出てくる。地磁気 データに関しては、米国ではオリジナルがNARA、コピーがボールダーWDCのどこかにある(廃棄され ていないとすれば)と判明しているから、データの復活は可能だが、世界的にはより深刻で、19世紀から IGYにいたる期間の世界の地磁気データが散逸消滅する危機に直面していると言える。 このような事態を憂慮して、国際地球電磁気学超高層大気物理学協会(IAGA)の観測・データ問題を扱 う第5部(部長:V. Papitashvilli氏)は、前回(2001年)のハノイ大会で、地磁気古記録救済のワーキン ググループを発足させた。この7月、札幌で開かれた国際測地学・地球物理学会(IUGG2003)では、その ための資金(3万ドル)が得られたことが報告され、新しい第5部執行部(部長:家森俊彦氏)の下、 WDC for Geomagnetism, Kyotoが中心となって事業を進めることになった。 (荒木 徹) 4.エブロ観測所(スペイン)の歴史Ebro Observatory is located in Roquetes (Spain) (40.82 N, 0.494 E). It was founded by the Jesuit Society at the beginning of the last century (1904) and since then it has been devoted to the study of the physical phenomena of the Sun-Earth interaction (today known as Solarterrestrial Physics). It was one of the first observatories that focused the subject (at the time of its foundation there were not a specific branch of this science clearly defined and independent). The Observatory bases its work in two lines: data acquisition of the parameters which allow us to characterize the phenomena under study and, on the other hand, the scientific research itself, where we can underline the study of the disturbances of the geomagnetic field due to the solar activity.
The idea of building the Observatory was born with the decision of the Jesuit Society to create three institutes devoted to physics, chemistry and natural sciences as a complement to the Philosophy and Theology faculties. Father Ricardo Cirera, as sub director of the Manila Observatory and therefore being aware of the "state of knowl- edge" in this field, was commanded to create the physics institute. He recommended creating an observatory, which became Ebro Observatory. He chose to work in a new field studying the relationship between the electric, magnetic and solar disturbances. With the Solar eclipse of 30th August 1905, which was total at Tortosa, the Observatory was officially inaugurated. Since then we can bring out many dates. In 1910, the publication of the Ebro Observatory Bulletin starts. In 1912, the Center got his own juridical identity. In 1913 the Iberica scientific journal appeared and its publication continues nowadays.
After the difficult years of the Civil War, the observatory was rebuilt and physically grew. It was integrated in the Consejo Superior de Investigaciones Cientificas with the name Observatorio de Fisica Cosmica del Ebro. In 1955, a new section was born: the ionospheric section and a new vertical ionospheric sounder was bought. More recently, in 1981, the Centre received several national prizes: the Narcis Monturiol plate and the Creu de Sant Jordi plate in 1987 "for the high level achieved in the study of the relationship between the solar activity and the geophysical phenomena". Finally, in 1991, the Ebro Observatory integrates in the Ramon Llull University as university institute. Now it is run by a board trustees, among them we can highlight: Consejo Superior de Investigaciones Cientificas, several departments of the Catalonia Generalitat and the National Geographic Institute.
Now a days, Ebro Observatory is structured in four sections: research is developed mostly in the magnetic, ionospheric and seismic sections. In the other section, meteorology, we only collect data and do the first treatment. Additionally, other services are provided: we have equipment of laboratory and control in order to maintain the measurement instruments and test the records. For data analysis, we have a computing center where we treat data with a lot of high quality PC and peripherals: laser printers, scanners, stream readers, digitalizing tables, CD recorders, ... Everything is linked to a Local Area Network with connection to Internet. Finally the library has a specialized collection in Earth and Space Sciences. It gives support to the research of the center and lends books and journals to other university and researchcenter libraries.
The magnetic section is devoted to study the terrestrial magnetism.It records continuously the three components of the magnetic field. Recently, an automatic magnetic station has been installed in a remote place far away of the disturbance due to the electrified railway lines. Data are downloaded via telephone. On the other hand, we started to measure automatically classic records on photographic paper. This has a great importance because this method could be used to retrieve other historical data, completing long series of data, a fundamental task in Geophysics. <Annual Mean Values (EBR)>
Absolute measurements are done with a DIflux magnetic theodolite and a Proton Precession Magnetometer. Fluxgate variometers record continuously the magnetic components. Rapid variation data are included in the Ursigram with the ionospheric data and are transmitted to Brussels daily. From the records obtained in the Observatory and data from other stations, we develop research projects in collaboration with other organizations, mostly European institutes. Actual research lines are: Regional modeling of the geomagnetic field using the technique of Spherical Cap Harmonic Analysis (SCHA), modeling the ionospheric currents that generate the diurnal variation, modeling solar flare and eclipse effects and studies of geomagnetic characterization in Antarctica. (Juan Jose Curto Subirats, Head of Magnetism in Ebro Observatory 2003年 7月11日〜8月2日 当センター滞在) 5.オーストラリアのレナー・スプリングスでのFRONT-3キャンペーン観測 1)ノーザン・テリトリー 中緯度域電離圏の南北両半球の地磁気共役点での同時観測のために、5/22から6/8までオーストラリアの レナー・スプリングスへ行きました。レナー・スプリングスはオーストラリア北部中央の沿岸にあるダーウ ィンより南へ800kmほど行ったところで、ダーウィンとアリス・スプリングスの中間辺りです。オーストラ リア北部中央はノーザン・テリトリー(Northern Territory)という行政区分になっていて、約17万人が住ん でいます。そのうち、ダーウィンとアリス・スプリングスにあわせて約11万人が住んでいるので、その2つ の町以外はとても人口密度の薄いところです。国立競技場に満員の観客が、日本の3.5倍の面積のところに 住んでいるような事になります。また、ノーザン・テリトリーの住居のうち13%は「その他」に分類されて いて、テントとかキャンピング・カーとかボート・ハウスだそうです(オーストラリア全体では「その他」 の住居は2%)。オーストラリアの中でも少し独特の場所のようです。映画「クロコダイル・ダンディ」も ノーザン・テリトリーが舞台でした。
もう一つノーザン・テリトリーの特徴としては、アボリジニーの人口に占める割合がオーストラリアで一 番高いことです。全国で約40万人いるアボリジニーのうち5万人がノーザン・テリトリーに住んでいて、 さらにそのうちの3万人は家庭ではアボリジニー語をしゃべっているそうです。アボリジニーと言えば ブーメランくらいしか知らなかったので、いろいろと興味深かったです。狩猟の道具を作る場合に、獲物 に当てるための工夫をするのではなく、外れたときのための工夫をするということに象徴されているように、 他の大陸とはちがった価値観を持っている文化のように思いました。
<レナー・スプリングス近郊の風景> ほとんど起伏はなく、乾燥した平らなところに木が点在している。 乾燥した下草は燃えやすく山火事(Bush fire)の煙をしばしば見かけた。 2)蟻塚と蠅よけネット 蟻塚と蠅よけネットはオーストラリアで初めて見ました。蟻塚は30cmくらいのものから2m以上のものまで ありますが、蟻の種類が違うのか場所によって大きさが決まっていました。ダーウィンから南下する スチュワート・ハイ・ウェイ沿いでは写真のパイン・クリークのあたりに大きなものが多かったです。 この大きな塚全体に蟻がうごめいているわけではなかったので、少しずつ作り足して使っているのかも しれません。中は空洞なのでたたくとコンコンと乾いた音がしました。
<蟻塚> ダーウィンから250kmほど南の パイン・クリークにて オーストラリアでもう一つ驚いたのが蠅の多さでした。観光客の中には頭に蠅よけの網をかぶっている 人もいるくらいでした。沿岸のダーウィンでは、たいしたことがなかったのですが、内陸に入るとたくさん いて、外を歩くとすぐ顔にたかってきました。小さい蠅ですので迫力はないですし、どういう訳か食べ物に はそれほどたからず、室内にもほとんど入ってこないので、ひどく困るという事は無いのですが、常に顔の 前を手で払い続けなくてはいけないので、煩わしかったです。面白いことに、観光客の蠅よけネットのほか には何の蠅よけの対策は取られていませんでした。次にオーストラリアへ行くときは蠅取り紙や蠅取り棒を 持っていって、効果の程を見てみたいものです。 3)レナー・スプリングス 去年の12月に名古屋大学太陽地球環境研究所の塩川和夫さんと大塚雄一さんと一緒に今回の観測のための 観測地探しに来た時に、信楽の地磁気共役点(信楽と同じ磁力線上にある点)に近いこと、夜光の光学観測 のために夜間に周囲が明る過ぎないこと、の2点からレナー・スプリングスが観測点に選ばれました。ここ には、パブとレストランがついたモーテルRenner Springs Desert Hotelがあり、その他に牧場があります。
<風化で出来た玉子型の岩> レナー・スプリングスから200kmほど南のDevil’s Marbleにて 人口は10人だそうです。私たちは、このDesert Hotelに18泊して、昼と晩は、ほとんどここのレストラン・ パブで食べることになりました。 南の隣の町(というよりドライブ・イン)まで137km、北の町まで93km 離れているうえ、そこまで行っても、おいしいものや、変わったものが食べられるわけでもなく、結局この モーテルのレストランが一番おいしかったです。しかし、選択肢は少なく、滞在中には同じものを何回も 食べなくてはいけなかったです。いろいろなオーストラリアのビールが飲めたのは楽しかったです。
<名古屋大学太陽地球環境研究所の全天大気光カメラ> 正面が北側 4) FRONT-3キャンペーン モーテルの裏庭に名古屋大学の全天大気光カメラを置き、従業員用の部屋にパソコンなどの機材を置か してもらい、観測を行いました。屋根にはシンチレーション観測用のGPSアンテナを付けさせてもらいま した。設営は大塚さんと京都大学の修士一回生の大島浩嗣君と私の3人で行い、設営後、大塚さんは日本へ 戻られました。オーストラリアは乾期のため雨は降らず、雲が見えることすら少なかったので、毎晩、大気 光の観測が出来ました。北側がひらけていたため地平線近くまで見ることが出来、乾燥していて水蒸気 による吸収が少ないためか、赤道異常が大変明るく観測されました。全体的に観測は順調に行われました。 砂漠に近いため、温度差が激しく、朝晩はセーターを着るくらいでした。しかし、乾燥しているために 過ごしやすく、天気もいつも快晴なので、気持ち良く滞在できました。よそとの断絶感も含めて面白い経 験でした。 (京都大学大学院理学研究科・齊藤昭則) 6.2003年前半のKp指数図表 2003年の6月までのKp指数図表 (Bartels musical diagram) を下に示します。オリジナルは (ftp://ftp.gfz-potsdam.de/pub/home/obs/kp-ap/music/musi2003.ps) です。 Kp指数の数値 (1932年以降) 、及び1990年以降のKp指数図表は (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html) からご利用になれます。 数値データの取得は一度に10 年分まで可能で、最新のKp指数は原則として翌月半ばには利用可能となります。
暑中お見舞い申し上げます
祇園祭のハイライト山鉾巡行(7月17日)
四条河原町に向かう長刀鉾