News and Announcements [in Japanese]
地磁気センターニュース
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地磁気世界資料解析センター News No.75 2002年9月20日
1.新着地磁気データ
前回ニュース(2002年7月30日発行, No.74)以降入手、または、当センターで入力したデータの
うち、主なものは以下のとおりです。オンライン利用データの詳細は
http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/index-j.htmlを、観測所名の省略記号等については、観測所カタ
ログ(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/obs-j.html) をご参照ください。
Newly Arrived Data
(1)Annual Reports and etc.
OUJ, HAN, NUR, SOD (Jun. - Jul., 2002), HER(2001, PDFファイル)
NGK(Jun. - Jul., 2002), BDV(1998 - 1999)
(2)Digital Data
Geomagnetic Hourly Values: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/hyplt/index-j.html)
HTY(Jun., Jul., 2002)
KAK, MMB, KNY (Jul.- Aug., 2002)
Geomagnetic 1 Minute Values: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/mdplt/index-j.html)
HTY (Jun., Jul., 2002)
KAK, MMB, KNY (Jul - Aug., 2002)
VAL (Aug., 2002)
Geomagnetic 1 Second Values: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/shplt/index-j.html)
HTY (Jun., 2002)
KAK, MMB, KNY (Jul. - Aug., 2002)
(3)Kp index: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html)
Jul. - Aug., 2002
(4)Magnetogram digital image files (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/film/index-j.html)
KAK (1958 - 1975)
HER (1979 - 1981, 1982 - 1986)
VOS (1958 - 1973)
*CD-ROM を関係諸機関へ配布しました
2.1時間値Dst指数の算出と配布・1分値ASY/SYM指数の算出
2002年6 月〜2002年7 月のDst指数 (Provisional) を算出し、関係機関に配布しました。ご希望の
方は、郵便またはファクシミリにて当センターまでお申し込み下さい。なお、Quick Look Dst指数
(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/dstdir/dst1/quick.html) および Quick Look AE指数
(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/aedir/ae/quick.html) は2〜3日の遅れで当センターのホームページから
利用できます。また、2002年7月〜8月分の1分値ASY/SYM指数を算出しホームページに載せました。
3.本センターホームページURLアドレスの変更
本センターホームページのURLアドレスが下記に変更されました。
日本語ページ: http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/index-j.html
英語ページ: http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/index.html
これらからリンクされている地磁気センター内のhttp://swdcdb.kugi.kyoto-u.ac.jp/... のページも、全て
http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/... に変更されています。
暫くの間従来のアドレスも使えますが、予告なく従来のアドレスは使えなくなることが予想されますので、
なるべく早く新しいアドレスに変更していただきますようお願いします。
4.オンラインカタログ(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/index-j.html)の更新
ホームページ上の全観測所データカタログマスターファイルが9月12日現在の情報に更新されました。
ホームページ上のデータカタログのページでは、指定された緯度・経度の範囲内の観測所についての、
印刷されたカタログに準じた観測所情報のリスト出力、オンライン利用可データの月別リストなどが利用
できます。 また、紙版/PDF版のデータカタログNo.26も年内に発行される予定です。
なお、オンライン利用可データのカタログは原則として毎週更新されているほか、4週間前から先週
までの新着データ一覧も下記URLからご覧になれます。
http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/wdc/onnew/onnew-j.html
5.地磁気と海洋生物の回遊
(1) はじめに
海洋生物の中には、太平洋や大西洋を大規模に回遊するものが少なくない。北太平洋全域を回遊する
ものとしては、クロマグロやアカウミガメのような大型生物が知られている。しかし小型のイセエビの
幼生などもそうであるところを見ると、大規模回遊は生物にとってはごくあたりまえのことなのだろう。
この回遊には法則性があり、産卵場で生まれた仔魚・仔個体は、保育場を経て索餌場に移り、成熟すると
再び自分の生まれたところに戻って産卵・出産する。成長した個体は産卵場と索餌場を往復する。最も
一般的に知られているのが、河川で孵化してから海に降下し、4年後に再び同じ川に戻って産卵して
生涯を終えるサケ・マスがある(母川回帰)。同じように大規模な回遊をした後、生まれた砂浜に戻って
産卵する生物に、ウミガメ類がある(母浜回帰)。ただしウミガメ類は60年以上産卵を繰り返す。
アカウミガメ雌成体は日本では、夏を中心に茨城県から琉球列島の太平洋岸砂浜に上陸して産卵する。
現在まで北太平洋で日本以外に産卵場が発見されないことから、北太平洋では日本のみがこの種の産卵場
を持っているとされている。孵化した仔ガメは黒潮―黒潮続流を経て保育場であるカリフォルニア沖に
達し、14年ないし17年を過ごした後再びアジア側に戻り、生まれた砂浜に戻って産卵する。その後の
索餌場は日本近海である。亜成体のアメリカ側から日本に戻る回遊経路は、1996年以降背甲部に装着
した人工衛星送信機により明らかになってきた。その結果、経路はほとんどの個体について同じ傾向が
見られ、亜熱帯前線に沿って北上することがわかった。いったい彼らはどのようにして、回遊経路を知る
のだろうか。また、広大な海洋環境の中から、どのようにして生まれた場所を探し当てるのか。この自分
が生まれた砂浜に戻る習性は島国である日本だけではなく、大陸側でも見られる。南太平洋ではオースト
ラリアにアカウミガメ産卵場があり、同様の習性が認められている。また大西洋側ではアメリカ合衆国
フロリダ海岸でもアカウミガメが産卵し、孵化後の仔ガメは大西洋循環(gyre)にのって、アフリカ
からヨーロッパにまで回遊し、産卵時期になると再びフロリダ海岸に上陸する。
海洋の中から産卵場を探す能力、いわゆる定位または帰巣能力は興味深い問題であり、古くから多く
の研究が行われてきた。海流の影響は無視できないが、それ以外の主な位置を認識する方法として太陽
コンパス説、嗅覚説、地磁気コンパス説などがある。その中で近年海洋生物を中心に、地磁気説
(Total地磁気と伏角)が最も有力視されるようになった。
(2) 地磁気と海洋生物の回遊
Morrealeら(1996)1)は、地球上で最も大型のウミガメであるオサガメ8頭に人工衛星送信機
を装着して、コスタリカから南太平洋を回遊する経路を確認した。その結果どの個体の回遊経路もほぼ
同じであることを報告している。先に述べたように保育場のカリフォルニア沖から、日本に戻るアカ
ウミガメの回遊経路についてもこの傾向は見られた。回遊経路はもちろん海洋大循環とも深い関係が
あるが、地磁気と伏角の分布とも関係していることが、Lohmann & Lohmann (1996)2)によって示され
た。フロリダ系アカウミガメはフロリダ半島砂浜で孵化した後、北大西洋循環(North Atlantic gyre)内
全域で亜成体になるまで生活し、成熟するとフロリダ海岸に戻る。Lohmannらは孵化直後のアカウミ
ガメ仔個体を、特殊な磁気発生コイル装置つきの水槽に入れ、最初伏角を57度一定に保って産卵場と
同じ47000nTの条件下で水槽に馴致させ、その後アカウミガメがgyreによって運ばれる対岸の南アフ
リカ沖の地磁気43000nTと、gyreに乗る出発点フロリダ沖の52000nTに交互に変換し、仔個体が定位
する方向を調べた。その結果52000nTの時にはアフリカ沖の方向である東(69度)に、また43000nT
の時には産卵場の方向である西(270度)に定位した。彼らはさらにこの結果と、大西洋全域の地磁気
と伏角を組み合わせ、定位のメカニズムについて考察した。伏角と地磁気の等値線の形状は北大西洋
では、小さな角度をなして交差した非直交型格子状になるが、gyreの中を移動することと組み合わせる
と、十分に定位が可能となる事を明らかにした。
海洋での行動を比較してみよう。私の行っている人工衛星送信機による約50頭のウミガメ類の回遊
行動結果を観察すると、ほとんどが目的地に向かってためらうことなく移動し、回遊途中で方向を探査
するようなランダム行動は見られていない。出発点と到着点を結ぶ軌跡はむしろ大圏航法型に近く、
運動エネルギー節約型遊泳経路をたどることがわかった。衛星送信機装着実験からみると、行動を開始
するときには目的地への定位は行われているように思われた。
(3) 体内での地磁気センサー
このような地磁気を感知する能力は体のどこにあり、どのような仕組みになっているのであろうか。
Walkerら (1997)3)は、磁力線密度を変化できる実験水槽内でニジマスを用いて、学習実験により磁気
感知能力を測定したところ、個体は50nTの差を識別する能力があることを見出した。さらに電気生理
学的にニジマス体内を探ると、鼻の中にあるカプセル (Nasal capsule) 内には、1個の大きさが30-50nm
のマグネタイトが列状にあり、この部分が磁気感覚器官の役割を果たしていることを突き止めた。カプ
セル内の信号は、嗅覚神経を通じて脳に伝達される。以前からサケ・マス類は、川の匂いを感じ取って
母川回帰を行っているという説があった。しかし鼻はそれ以外に、地磁気を探査する能力があることが
判明した。これらの生物地磁気感知能力が定量的に示された実験成果は、仔ガメにしろ、ニジマスにし
ろ、実験室のデータのみである。
実際に小型磁気コイルを用いたシロザケの海洋における行動実験では、頭の上に置いたコイルにより
擾乱を与えても、遊泳速度や遊泳方向に変化が見出せていない。外洋実験では、何か別な方法を考える
必要がありそうだ。個体が定位する方法として考えられるのは、まず孵化直後にその場の地磁気情報を
刷り込んでしまう個所があり、それは一生を通じて残存するのではないか、ということである。それ
以外に、もし成長に伴い体内でマグネタイトの形成があれば、固定された記録と現在感じている地球上
の方位とから、進行方向を決める時にも、産卵場に戻る時にも便利であろう。今後はセンサーの見つ
かった鼻周辺に注目して、海洋における行動実験系を組み立てることが必要である。
(4) 今後の課題
私が実験に用いたアカウミガメの多くは、砂浜に産卵上陸する雌成体であった。産卵を終えたアカ
ウミガメは、その後東シナ海や北太平洋で生活し、2-4年間隔でふるさとの砂浜で産卵を繰り返してい
る。では一生涯上陸しない雄成体には、このような定位能力は必要ないのだろうか。たまたま1996年
1月、和歌山県串本町の定置網にアカウミガメ雄成体がかかった。すぐに衛星送信機を装着して放流し
たところ、黒潮を横断して小笠原諸島周辺で越冬し、5月4日には再び紀伊半島に戻ってきた
(Sakamoto et.al., 1997)4)。この年、紀伊半島における最初のアカウミガメ産卵上陸は、5月14日とマス
コミは報じていた。おそらくこの雄は、紀伊半島周辺で生まれたものであり、雌が上陸するこの時期に
交尾のため、再びもどって来たのであろう。広い海洋で個別に生活しているアカウミガメは、この時期
以外に雌雄成体相互が遭遇する機会は少ない。雄は5月以後8月末まで紀伊半島周辺にとどまっており、
その後行方がわからなくなった。定位については地磁気を用いて回帰することができるが、さきほどの
雄のように産卵時期については、どのようにして認知したのであろうか。地磁気だけでなく、太陽コン
パスと体内時計の組み合わせなど、ほかの環境情報も生物には必要のようである。
研究のためには、さまざまな海洋環境変化に注目する必要がありそうだ。それぞれ個別の物理現象が、
海洋生物行動と密接に関係している。偏見と独断でいえば、次のような事象があげられる。2001年、
茨城県沖では多くのアカウミガメが砂浜に打ち上げられた(stranding)。また同じ年、鹿児島県吹上浜
ではゴンドウクジラが打ち上げられた。海洋環境の何かが影響していることは疑いないが、その原因に
ついては不明である。もし地磁気が生物の定位と密接に関係しているのなら、海底火山の爆発とそれに
伴う地磁気変化や、キュリー効果の影響などにも注目したい。なぜなら突然地磁気に空白水域ができ、
あるいは激しい擾乱が広範囲に及ぶと、生物行動に影響があらわれることが考えられる。当時爆発した
北硫黄島周辺の海底火山と、周辺の地磁気変化との関係には大変関心を持っている。この周辺海域は、
大型生物の回遊経路や越冬場に当たっているからである。また海底火山にともない周辺水域へ拡散した
硫化物は、肺呼吸生物である哺乳類(クジラ)や爬虫類(ウミガメ)の鼻から流入し、方向感覚を狂わ
せる可能性もある。一見まったく関係のないように思われる地球物理学的現象が、近年の海洋生物学
では重要な情報になりつつある。そのため現在では、アカウミガメの背甲部に地磁気記録計や、CCD
カメラを取り付け自動記録させることも試みられている。
機器回収は産卵場の砂浜で行えるので、脱落さえしなければ2年以内に回収できる。地球全体の環境
変化と、それが生物に及ぼす研究について、地球物理学者と海洋生物学者が総合的に取り組む必要が
あるのではなかろうか。
参考論文
1)Morreale, S.T., E.D. Standora, J.R. Spotila and F.K. Poladino : Migration corridor for sea
turtles. Nature, 384, 319-320 (1996).
2)Lohmann, K. J. and C.M.F. Lohmann : Detection of magnetic field intensity by sea turtles.
Nature, 380, 59-61 (1996).
3)Walker, M.M., C. E. Diebel, C. V. Haugh, P. M. Pankhurst, J. C. Montgomery, and C. R. Green :
Structure and function of the vertebrate magnetic sense. Nature, 390, 371-376 (1997).
4)Sakamoto, W., T. Bando, N. Arai and N. Baba : Migration paths of the adult female and male loggerhead
turtles Caretta caretta determined through satellite telemetry. Fisheries Science, 63, 547-552 (1997).
坂本 亘(京都大学大学院農学研究科教授・海洋生物環境学分野)
6.IGY資料センター設立に至る歴史的経過
地磁気世界資料解析センターNews No.73 (2002年 5月30日付) 3-4 頁に、荒木徹 前センター
長が 「World Data Center for Geomagnetism, Kyoto の歴史」 について設立時から現在に至るまでの経過
を要領よく纏められ、最新情報に疎くなっている私にも大変参考になりました。IGY世界資料セン
ターの設置箇所を具体的に選定した国際会議は、IGY期間に入る僅か3ヶ月前でしたが、資料セン
ターを世界の複数箇所に設置する必要性についてはずっと早い段階から論議されていた問題です。
1939年9月 4-15日に IUGG 第7回総会が初めて欧州を離れ大西洋を越えて米国Washington, D.C.
で開催された。その直前に第2次世界大戦が勃発し、欧州からの IUGG 総会出席予定者はまだ多く
大西洋上を航行していた。こんな事態に臨み IUGG Executive Committee は米国の IUGG 開催準備
委員会宛に次のような指示を出しました。(i) 既に海外 26ヶ国から 116人もの参加者が集まっている
(この数だけでも過去最多外国人出席者数)から、IUGG総会は予定どおり開催するが、会議で取り
扱う案件は純粋に科学的な事項に限る。(ii) IUGG および傘下の各 Associations では現在の内部組織を
変更することは避け、人事異動は一時凍結し、現役員の任期をそのまま次回総会時まで延長する。
(iii) 次回 IUGG 総会は、戦争が終結して世界に平和が再び訪れた時に Norway の Osloで開催する。
このような臨時借置が講じられた結果、田中舘愛橘先生には IATME (IAGAの前身) 役員として29年
間 (初代会長として2年、その後は執行委員) に亙って私たちの国際組織の活動に寄与されたという
記録が残りました。
1939年9月の IATME総会で採択された勧告の一つに 「海上または陸上におけるすべての磁気測量
結果は2ヶ所の中央局 (できうれば Danish Meteorological Institute at Copenhagen と Department of
Terrestrial Magnetism of the Carnegie Institution of Washington) に送付され、そこに保管されている資料
を利用したい研究者に対しては資料提供の便宜を図る」という条項があった。20世紀前半には米国の
カーネギー研究所が地球電磁気学の発展に著しく貢献している(地磁気
Huancayo や オーストラリアの Watheroo に新設したり、非磁性帆船 「カーネギー号」 による広域洋
上磁気測量を繰り返し実施したなど)ので、この際長年に亙って収集した地磁気観測資料を保管し解
析する中央局を自国内に設置したいと表明した。欧州で第2次大戦が勃発した折でもあり、「資料セ
ンターが世界中で1ヶ所にしかない場合には、もしもそのセンターが不慮の災害に見舞われると取り
返しがつかない損失を被るから、今後世界資料センターは複数箇所に置くべきだ」という論旨には説
得力があった。
米国に第2の地磁気世界資料センターを設置することがIATME総会で認められた直後、カーネ
ギー研究所は早速デンマーク気象台に対して保管資料のコピー(1932-33年に実施された第2回国際
極年観測に察して世界各地で得られたマグネトグラムのmicrofi1m copiesも含む)を早急に送付して
欲しいと要請した。こうして米国の資料センターに集められた観測データはその後数年をかけて解析
され、その結果
Vestine, E.H., L. Laporte, I. Lange and W.E. Scott: The geomagnetic fie1d, its description
and ana1ysis. Carnegie Institution of Washington (略称CIW) Publ. 580, 390 pp., 1947;
Vestine, E, H., L. Laporte, C. Cooper, I. Lange and W.C. Hendrix: Description of the Earth's
main magnetic fie1d and its secu1ar change, 1905-1945. CIW Pub1. 578, 532 pp., 1948;
Wa11is, W.F. and J.W. Green: Land and ocean magnetic observations, 1927-1944. Researches
of the Department of Terrestria1 Magnetism, vo1. VIII; CIW Pub1. 175, 243 pp., 1947.
という大冊モノグラフが刊行されている。また1947年にはMagnetic resu1ts from Watheroo
Observatory, Western Austra1ia, 1919-1935 (本文1122 pp.) を, 1948年にはMagnetic resu1ts
from Huancayo Observatory, Peru, 1922-1935 (本文609 pp.) を刊行しており、米国力ーネギー研究所地
磁気部門 (略称DIMCIW) が各国の研究者に奉仕した功績は大きい。ところで1950年代以来米国では、
DIMCIWはIGY WDC-A資料センター活動担当機関には組み入れられておらず、また現在活動してい
るICSU Pane1 on Wor1d Data Centers にも属さない。その理由は私にとって一つの不可解な謎です。
1950年代にIGY計画を議論し始めた時には、当時の世界政治情勢を考慮して世界資料センターを
A (米国内)、B (ソ連内)、C (ヨーロッパ及びその他の地域) に区分し、各センター相互間で密接な連
繋を取りあって (連絡所要経費は各資料センターが負担) 同じ資料を集積するように努めるという基
本構想が生まれた。1957年4月1-4日 CSAGI (ICSUに設けられていた国際地球観測年特別委員会)
は世界資料センター選定会議をブラッセルに召集した。参加を要請された国々は米・ソ両国以外に観
測種目別のCセンターを誘置したいという希望を表明していた国々である。日本からの出席者は私一
人だけであり、この会議中に観測種目別の分科会が開かれるであろうと予想していた私は、地磁気・
電離層・大気光・宇宙線各分科会席上での審査に役立つメモを予め配布しておいた。その内容は「わ
が国では研究者層が厚く、戦後には電離層総合研究会や地球電気磁気学会が発行している欧文定期刊
行物を通じて日頃研究成果を発表し続けているから、今後集積されるIGY観測資料を活用して新しい
研究成果をきっと数多く発表できよう」という主張でした。このような私の対策が功を奏したせいか、
日本から申請していたCセンター誘致希望は関係分科会席上で幸いにそのまま承認してもらえました。
この世界資料センター選定会議中に、私が地磁気または電離層の部会に出席している時に、CSAGI
の事務局長Prof. Marcel Nico1etから 「緊急な用事があるから、会議を退席して自分の室に来て欲し
い」と再三頼まれました。彼が取り急いで知りたかったことは、その年の2月25日- 3月2日に東京
で開催されたIGU西太平洋地域会議の前後に、日本に対して中国 (北京) と台湾側がどのような働き
かけをしていたかという問題であった。1957年2月になってから台湾がIGY事業に参加したいと申
し出てきたので、いわゆる「二つの中国」という難問題をCSAGI事務局が抱え込むことになりまし
た。この問題の最終決着結果だけを述べますと、CSAGI事務局が誠意を尽くして解決に努力したにも
拘らず、両中国間の和解は得られず、北京側中国がIGY開始前夜にIGY事業加盟国から退会して
います。
福島 直(東京大学名誉教授)