News and Announcements [in Japanese]

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★地磁気センターニュース No.73/2002年5月30日★


1.新着地磁気データ
      前回ニュース(2002年3月29日発行, No.72)以降入手、または、当センターで入力したデータのうち、
主なものは以下のとおりです。オンライン利用データの詳細はhttp://swdcdb.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/index-j.htmlを、
 観測所名の省略記号等については、観測所カタログ(http://swdcdb.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/obs-j.html) をご参照ください。

      Newly Arrived Data
        (1)Analogue Data
        Annual Reports and etc.
                SOD (2000),  HAN, NUR, OUJ, SOD (Mar. - Apr., 2002),  HTY (2000)
                NGK (Apr. 2002)

        (2)Digital Data
      Geomagnetic Hourly Values: (http://swdcdb.kugi.kyoto-u.ac.jp/hyplt/index-j.html)
                KAK, MMB, KNY (Mar. - Apr., 2002), HTY (Oct. 2001- Apr., 2002)
                LRM, DOU, GNA, KDU, ASP, CNB, NAQ, THL, GDH, BFE (2001)
            Geomagnetic 1 Minute Values: (http://swdcdb.kugi.kyoto-u.ac.jp/mdplt/index-j.html)
              VAL (Mar. - Apr., 2002),  KAK,  MMB,  KNY (Mar. - Apr., 2002)
              HTY (Oct. 2001- Apr., 2002)
            Geomagnetic 1 Second Values: (http://swdcdb.kugi.kyoto-u.ac.jp/shplt/index-j.html)
              KAK,  MMB,  KNY (Mar. - Apr., 2002), HTY (Oct. 2001- Apr., 2002)

        (3)Kp index: (http://swdcdb.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html)
                Mar. - Apr., 2002

	(4)Magnetogram digital image files
	ODE (1979 - 1992), TOL (1979 - 1990)
	TFS (1981 Oct.)


 2.1時間値Dst指数の算出と配布・1分値ASY/SYM指数の算出
     2002年2 月〜2002年3 月のDst指数 (Provisional) 及び、2000年Final Dstを算出し、関係機関に
 配布しました。ご希望の方は、郵便またはファクシミリにて当センターまでお申し込み下さい。なお、
 Quick Look Dst指数 (http://swdcdb.kugi. kyoto-u.ac.jp/dstdir/dst1/quick.html) および Quick Look AE指数 
 (http://swdcdb.kugi.kyoto-u.ac.jp/aedir/ae/quick.html) は2〜3日の遅れで当センターのホームページから
 利用できます。また、2002年3月〜4月分の1分値ASY/SYM指数を算出しホームページに載せました。                    


3.アレシボ観測所訪問  

     私は、2000年2月から2002年2月まで、米国コーネル大学に日本学術振興会海外特別研究員として滞在し、
その滞在中の2001年7月に、夜間の伝搬性電離圏擾乱(TID)の観測のために、プエルトリコに
 あるアレシボ観測所を訪問しました。この観測は、夜間TIDを、名古屋大学STE研の全天夜光カメラによ
 り観測し、その内部のプラズマドリフトを、アレシボレーダーの高時間分解能IS観測により測定するもの
 でした。全天カメラの観測は、プエルトリコ本島の東側のクレブラ島で、STE研の大塚雄一さんと猪原智
 昭さんによって行われました。私はカメラの設置を手伝った後、本島に戻りアレシボ観測所に行きました。

  アレシボ観測所は映画に2回登場しています。ピアース・ブロスナン主演の「007ゴールデンアイ」
 とジョディ・フォスターの「コンタクト」です。「コンタクト」は原作者のカール・セーガンがコーネル
 大学の人だった事もあり、アレシボ観測所はかなり忠実に出ています。管制室も本物が出て来ましたし、
 ゲスト用のロッジもそのまま出ていました。アレシボ観測所の雰囲気に興味がある方は、「コンタクト」
 の最初の15分間くらいをご覧下さい。「007ゴールデンアイ」の方は、湖の底から現れる悪者の基地と
 して出てくるので、かなり嘘があります。ただ、レーダーの中央にぶら下がっているプラットホームの
 様子は、そこで格闘したりするので、「007」の方がよく分かります。


  
<図1>
図1は管制室の前から見たレーダーのアンテナ面とプラットホームです。アンテナ面は谷のくぼみに作 られています。思ったよりよごれていましたが、やはりかなり大きいという感じがしました (直径305m)。 プラットホームはアンテナ面の脇にたてられた3本の柱からのワイヤーで吊り下げられています。 下部中央にある棒状の部分がline-feedと呼ばれていて、以前から電離圏観測用の450MHzの電波の送受 信に使われている部分です。「007」では、ジェームス・ボンドもぶら下がりました。その右にあるドームが Gregorian domeで、このドームの中に電離圏観測用の450MHzの送受信用の榎壇が付けられ、今回 初めて2方向同時に電離圏の観測が出来る様になりました。 このline-feedとGregorian domeは弓型のレールに取り付けられており、そのレールの上での位置を変え る事で、天頂角を20度まで変える事ができます。あまり端にするとバランスが悪いので通常の観測は天頂 角15度で行われています。この弓型が3角形のプラットホームに付けられた円形のレールの上を回って 方位角をかえます。一周するのに16分かかります。同じ方向に回り続ける事は出来ないので、一周したら 逆に回ります。その3角形のプラットホームの3つの角が、ワイヤーで柱につながれて支えられています。
<図2>
図2はプラットホームの上から写した、アンテナ面に映るプラットホームの影ですが、プラットホーム の構造が分かりやすいかと思います。このプラットホームの3角形は、アレシボ観測所のマークにもなっ ています。プラットホームに行くには、下からゴンドラで上がっていくか、キャットウォーク(吊り橋)を 渡っていくかです。私はゴンドラで上がって、キャットウォークを通って帰って来ました。足下から下が 見えるので恐かったです。ペンキ塗りの人がいましたが、彼等は平気で柱に登ったりしてました。 450MHzの電波が通るダクトは、管制室にある送信機 から、キャットウォークを通ってプラットホー ムまで行き、そこで2つのビームに分けられていました。 Gregorianの方の450MHzは、初めての本格的観測だったので、トラブルが多く、3回ほど受信機が壊れて しまいました。送信電波が受信機側に洩れ込んでしまっていたようです。 キャットウォークのそばに、一般用のビジターセンター がありました。一日に数百人のお客さんが来る そうで、観測所の中だけでなく、前の道も観光客の車が並んでいました。中では観測所に関する展示と、 "A day in the Arecibo Observatory" という題の紹介映画をやっていました。観測所の一日として、カフェ テリアのコックさんから、電離圏部門のSixto Gonzalezまで、観測所の人がみんな出て来てました。 観測所の雰囲気はアットホームで、1週間ほどの滞在でしたが快適でした。機会があれば、また訪問 したいと思います。 以下にアレシボ観測所の写真がありますので、興味がある方は御覧下さい。 http://www-step.kugi.kyoto-u.ac.jp/~saitoua/PuertoRico/ (京都大学・大学院理学研究科・斉藤昭則) 4.退官のご挨拶 私は、今年3月末で停年を迎え、理学研究科地球惑星科学専攻太陽惑星系電磁気学講座担任の職を 辞することになりました。大学院修了後,工学部電離層研究施設 (現宙空電波科学研究センター,1967-70), 理学部地球物理学教室 (70-77),地磁気世界資料解析センター (77-89),地球物理学教室 (89-2002) と、35 年間を京都大学職員として過ごしたことになります。1990年からの10年間は、上記地磁気センターのセ ンター長を務めました。 国際地球観測年 (IGY) が始まって、最初の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられた、1957年に大学 に入学しましたので、私の学部〜大学院時代は、飛翔体現場直接観測が、放射線帯,磁気圏,太陽風, 無衝突衝撃波などの新しい構造や現象を次々に発見し、磁気流体波理論[Alfven, 1943] が、磁気圏波動現象 に適用され始め、太陽風理論[Parker; 1958], 磁場再結合[Dungey; 1961], 磁気圏対流[Axford-Hines; 1961] 等の新しい理論や概念が、確立していった時代でありました。 このように刺激的な学問の興隆期に身を置き、ささやかながら自らの研究を続け、知的好奇心旺盛な、 多くの学生諸君の教育に関与できたのは、大変幸せであったと思います。 大学院時代から今まで、この 地磁気センターは、研究上のアイデアを確かめる実験室として、教育と研究に大いに利用しました。 大学と学会・学界の活動を通じ、また、上記講座と地磁気センターの整備充実のため、多くの方々の お世話になりました。お陰様で、地磁気センターは、研究・教育に直結したデータ活動を行う、ユニーク なセンターとして世界的にも注目されるようになり、1999年度には、教授ポストを付けて頂いて、独立 することが出来ました。皆様のご支援に厚くお礼申し上げます。   現役を離れて、少し時間の余裕が出来ましたので、記録に残しておくのが良さそうなことを、数回に わたって書き留めたいと思います。 (荒木 徹) 5.World Data Center for Geomagnetism, Kyotoの歴史 戦後最初の大型国際共同観測計画である「国際地球観測年 (IGY, 1957-58) 」からのデータの保存・ 活用を図るため、IGY特別委員会 (CSAGI) は、世界資料センター (WDC) システムを設立し、そのうち 地磁気 (京大理学部)、電離層 (電波研究所,現通信総合研究所),宇宙線 (理化学研究所),大気光 (東京 天文台),放射能 (気象庁) の、5分野のWDCが日本におかれることになった。この時、国際委員会に、日 本代表として出席して、データセンターの日本誘致に努力されたのは、福島直先生 (現東大名誉教授) で あった。京大に地磁気のセンターが置かれたのは、田中舘愛橘先生 (東大教授) の後を継いで、日本の地球 電磁気学の発展に尽くされた、長谷川万吉先生 (京大教授) のグループによる、地磁気研究の実績があった からであった。日本と京大における地磁気研究の事情は、最近の好著「長谷川万吉と地球電磁気学」(永野 宏 ・佐納康治著,開成出版) に詳しく記述されている。日本のWDCは、WDC C2 for Geomagnetism (Ionosphere, Cosmic Ray, Airglow, Nuclear Radiation) とC2をつけて呼ばれた。C2は、アジア・ オセアニア地域を表し、WDC- A, B, C1は、米国,ロシア,ヨーロッパのWDCを意味した。 日本のWDCは、組織として確立されていたわけではなく、臨時事業費を用いて、母体組織 (上記括弧 内) それぞれの工夫により運営された。京大の場合は、附属中央図書館に2室を借り、理学部地球物理学 教室,教養部地学教室,工学部電気・電子工学教室・電離層研究施設の関係教官から成る、地磁気世界資 料室運営委員会によって運営された。図書館側の出席者は、事務部長,総務課長,整理課長等であった。 故太田柾次郎,前田憲一,大林辰蔵の諸先生も、初期のころの主要メンバーであった。委員長は、太田先 生,続いて前田坦先生 (現京大名誉教授) が務められ、実務は継続して河北政子事務官が担当された。 IGY期間中にその重要性が認識されたWDCは、IGY後も存続し、1968年には、国際学術連合会議 (IC SU) にPanel on World Data Centers が設置されて、以後は、このパネルにより統括されることになる。 1969年のIASY (International Active Sun Year; 1969-71) 計画の会議で、WDCは資料の収集・提供 だけでなく、データ補正・標準化や、複数データの比較・組合せ研究などを行う、解析センターとしての 機能も果たすべきであると決議された。これは、学問の発展に伴って、データが多種大量になり複雑化して、 それまでのように、1次データを出し入れする倉庫としての役割だけでは、不十分になったことを示す重要 な変化である。その後、この機能は益々重要になり、データと観測についての情報の蓄積と評価、それに 基づく汎世界的観測の調整や観測所への助言・援助,データベース構築,解析ツールの開発・整備など、 データ解析の中心としての主導的役割が、データセンターに要請されるようになった。 1969年には、WDC-C2 for Solar Radio Emission, WDC-C2 for Solar Terrestrial Activityが、 名大空電研究所と宇宙科学研究所に設置され、1981年には、WDC-C2 for Aurora が極地研究所に出来た。 これで日本は8つのWDCを持つことになったが、放射能WDCを除く7つが、太陽地球系物理学(STP) 分野に関係しており、しかも、そのうち電離層WDC以外の6WDCが、文部科学省の直轄研究所と大学に 属している。 これは、日本のSTP社会が、気象学における気象庁のようなデータ取得提供の専門機関を持たず、 研究者自身がデータ活動に関わらざるを得ないという事情を反映している。 1988年には、中国に8分野のWDC D for ・・・ が作られ、その後、米欧に環境分野のWDC新設が 続いて、現在約50のWDCが存在する。1999年からは、地域を表す A, B, C1, C2, D は使われなくなり、 WDC for Geomagnetism, Kyoto のように地名を付けることになった。日本のWDCでは、WDC for Solar Terrestrial Activity (宇宙研) が、"WDC for Space Science Satellites" と名前を変え、 WDC for Cosmic Rayは名古屋大学所属となり、実務は茨城大学で行われている。 (荒木 徹)
6.地磁気センタースタッフ (2002年5月現在)
専任教官・補佐員併任教官
センター長/教授家森 俊彦小山 勝二(京都大学大学院理学研究科物理学・宇宙物理学専攻)
助手亀井 豊永黒河 宏企( 〃付属天文台)
竹田 雅彦田中 良和( 〃付属地球熱学研究施設)
能勢 正仁尾池 和夫( 〃地球惑星科学専攻)
事務補佐員武内 典子町田 忍( 〃 〃 )
技術補佐員小田木 洋子