News and Announcements [in Japanese]
地磁気センターニュース

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地磁気世界資料解析センター News No.133    2012年5月30日
 
 
 
1.新着地磁気データ
	
    前回ニュース(2012年3月29日発行, No.132)以降入手、または、当センターで入力したデータの
うち、オンラインデータ以外の主なものは以下のとおりです。
 オンライン利用データの詳細は (http://wdc.kugi.kyoto-u.ac. jp/catmap/index-j.html) を、観測所名の省略
記号等については、観測所カタログ (http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/obs-j.html) をご参照ください。
 また、先週の新着オンライン利用可データは、(http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/wdc/onnew/onnew-j.html)で
御覧になれ、ほぼ2ヶ月前までさかのぼることもできます。
 
      Newly Arrived Data
 
      (1)Annual Reports and etc.(off-line)
                   NGK (Mar. - Apr., 2012)
				
      (2)Kp index:(http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html)
                   Mar. - Apr., 2012
			
 
2.ASY/SYM指数
 
  2012年3月- 4月のASY/SYM指数を算出し、ホームページに載せました
(http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/aeasy/index-j.html)。
 
 
3.シーボルト事件と、クルーゼンシュテルンの「世界周航図」記載の長崎の磁針偏差
  (地磁気偏角)について。シーボルトによる長崎での観測は、国外退去前の駆け込み観測か?
 
  1828年11月16日に幕府暦局天文方高橋景安が捕縛されたシーボルト事件で、シーボルトPhilipp Franz
Von Sieboldが、江戸滞在中に (1826年3月4日から4月12日迄) 高橋景安へ伊能図と交換で渡した物の中の
代表格として取り上げられるのが、クルーゼンシュテルンAdam Johan von Krusenstern の「世界周航図」
である (呉 秀三著 シーボルト先生 其生涯及功業 大正十五年第二版 P243 -244 参照) 。
  
 クルーゼンシュテルン「世界周航図」において、樺太サハリンは僅かに大陸と繋がり、海峡は描かれてい
ないが、1809年高橋景安が刊行した「日本辺界略図」 (1832年シーボルトの「NIPPON」第一回配本に掲載)
や、1851年シーボルト刊行の、DIE INSEL KRAFTO(「日本陸海図帖」・「NIPPON」に掲載の、最上徳内・
間宮林蔵による樺太図)では、樺太は島として描かれており、前者との比較は注目され有名である(洞富雄
著「間宮林蔵」吉川弘文館 他)。しかし、クルーゼンシュテルン「世界周航図」に記載の長崎の磁針偏差
(地磁気偏角)については注目されていない。
 
 九州大学デジタルアーカイブに、クルーゼンシュテルン「世界周航図」の第51図長崎港がある。同図の
凡例にはロシア語でナガサキとあり、観測地点の緯度はN32°44′50″とある。現代の地図で当時の長崎を
検証すると出島の北419mになるが、測地系等の事情を考慮するとほぼ出島付近と考えられる。
 
 

 
<クルーゼンシュテン世界周航図の第51 図長崎港(部分)>
(九州大学図書館の許可無く転載等厳禁)
 
 

 
<クルーゼンシュテルン世界周航図の第51 図長崎港
 の凡例(部分):1°45′36″W 1805年
 (九州大学図書館の許可無く転載等厳禁)>
 
 
 また、同図の凡例には、1805年長崎で観測の磁針偏差として、1°45′36″Wが記されている。この偏角の
値は、センターニュース119掲載拙論の、伊能忠敬の測量方位角帳国宝「山島方位記」から解析した、1812
年肥前小城牛津の1°40′51″W他や、天草富岡1°45′48″Wともほぼ似た値になる。 
 
 1800年の、伊能図磁針測量開始直前の頃の伊能忠敬による江戸での偏角試測では、偶然に0度に近く、磁
針偏差有りと迄は認識できなかったことや、当時の幕府暦局で伊能忠敬の上司間重富は、西洋書籍から世界
には場所によって異なる磁針偏差があるとの記述は知るものの、永年変化の知識も無かったことと、そして
1806年に、伊能忠敬測量隊に参加した高橋景佑(景安の弟、後に渋川姓)が、隠岐で観測すると磁針は東に
2度ずれたが、江戸に戻ると伊能忠敬の測量開始前の試測と同様に偏差はなかったこと等も、景佑の息子渋
川佑賢(しぶかわ すけかた)が、星学須知(著作年月日不明国立天文台蔵書)に記述している。しかし、長岡
半太郎は、「羅針の偏差につき」地学雑誌二十二巻で、「東にずれ・・・」とは、実際は西偏のことであろ
うとしている(渋川佑賢「星学須知」・西川治伊能忠敬の顕彰史再考 ー 伊能図と地磁気の人脈−伊能図
に学ぶ 朝倉書店1998年・地磁気センターニュース.No.117拙論)。
 
 クルーゼンシュテルン世界周航図に記載の、長崎の磁針偏差について、高橋景安がどんな認識を持ったか、
或いはこれを見逃したかは不明であるし、シーボルトが、クルーゼンシュテルン世界周航図譲渡時に、場所
により異なり永年変化する磁針偏差の地図、海図に於ける重要性や、観測方法も含め、高橋景安になんらか
の説明をしたのか、或いはなにも説明をしなかったのかも不明である。
 
 高橋景安が、シーボルトからのクルーゼンシュテルン世界周航図受領後、伊能図漏洩事件発覚投獄による
研究停止に至る迄の約2年半の間に、江戸や長崎で磁針偏差を観測した記録は見付かっていない。1800年の
伊能忠敬による、測量開始に先立つ頃の試測では、江戸は偶然にも0°に近く、磁針偏差は観測されなかった
として磁針測量を開始したというが、クルーゼンシュテルン世界周航図には、江戸から遠く離れた長崎での
1805年の偏角1°45′36″Wが記録されており、場所により偏角が若干ではあるが異なることがわかる。
 
 もしクルーゼンシュテルン世界周航図受領後の時点で、直ちに江戸や長崎で地磁気の偏角の観測がなされ
ておれば、幕府暦局は江戸と長崎での地域差や永年変化も把握し、それに基づく問題点と対処策への進歩に
至った筈である。この時点以降幕府暦局は、伊能の磁針測量直前の江戸での試測時からの日本の磁針偏差
(地磁気偏角)の内発的研究課題の、思わぬ機会を逃したと言えそうだ。
 
 シーボルトは、著作「NIPPON」図録第一巻「九州四国および周辺諸島の主要地点経緯度測定比較一覧表」
一三頁で、「長崎での1805年クルーゼンシュテルンと、ホルナーによる1度45分35秒西、とシーボルト自
らとピストリウスの1828年2度10分西、と1845年のベルヒャーの45度6分2秒西・・・・そして四十年代は、
西に進んだ」・・と記述している(シーボルト日記再来日時の幕末見聞記 牧幸一・石山禎一訳 八坂書房
P345より)。 ベルヒャーの45度6分2秒西・・・とはシーボルトの書き間違えで、Sir Edward Belcher
による長崎湾口の医王島での2度35分39秒西偏が正しい。
 
 シーボルトは、1826年7月7日に長崎へ帰着。1828年10月に長崎奉行所で尋問され、1829年10月22日の国外
退去決定を受け、1830年1月1日を最後に日本を離れて帰国した。しかし、シーボルト自らとピストリウス
の1828年2度10分西ということは、シーボルトは磁針偏差の永年変化等の重要性をよく認識して長崎で観
測を行ったと考えられるが、もし長崎奉行所での尋問以降の観測であれば、駆け込み観測ということになる。
 
 磁針の偏差を地磁気の偏角として捉えた世界の地磁気の概要把握は、一定の観測方法で統一したデータに
よる、1830年前後の世界各地での観測値の蒐集と球関数展開の計算に基く、1840年発刊のガウス・ウェー
バーの地磁気世界地図の等偏角線世界地図を待たねばならなかったが、ガウス・ウェーバー図の計算根拠
データの一覧表の中には、シーボルトの長崎での観測データは含まれていない。
 
 1860年の幕府軍艦方の咸臨丸による太平洋横断航海では、帰路に米国捕鯨船の操船をしていたジョン万次
郎が操船しており、日本周辺の磁針偏差について航海で運用していた可能性も有るが、幕府による磁針偏差
(地磁気偏角)の観測は、1861年の荒井郁之助らによる江戸品川砲台での測定結果3度11分西偏を待たねば
ならなかった。(地磁気センターニュースNo.117拙論)
  
◎ 実は、この間に加賀藩では内発的に磁針偏差の観測と対処策等が実行されており、渡辺誠氏(富山市科
  学文化センター)らグループの研究が必見となる。
 
○ ペリーが来航後に幕府に希望したものの認められなかった、米国船団のロジャースによる無断測量、
  その他各国艦船の磁針偏差観測データの有無は、調査を要す。
 
 
 クルーゼンシュテルン世界周航図の掲載につきましては、九州大学図書館と西南学院大学宮崎克則教授の
お取次ぎ、及び元熊本大学教授山口隆男先生のご好意に、深く感謝を申し上げる次第です。
 
 本稿は、日本学術振興会 平成二十三年度科学研究費奨励研究助成 課題番号23916012 の一部を使用して
執筆しました
 
 
                     (辻本 元博 − 日本国際地図学会/地球電磁気・地球惑星圏学会)
 
 
 
4.地磁気センターがICSU/World Data Systemの正規メンバーとして認定される
 
 1957-58年の国際地球観測年 (International Geophysical Year: IGY) に設立され、活動を続けてきたICSU/
World Data Center システムの改組が、2008年秋の国際科学会議(ICSU)総会で決定され、より広範囲の分野を
含む新たな国際データ組織、ICSU/World Data Systemとして生まれ変わりました。(http://www.icsu-wds.org/ )
 
 
       
< WDS-IPOの初代ディレクターに就任した
 Mustapha Mokrane 博士の就任挨拶風景 >
 
 
 ICSU/WDSのメンバーとして認定されるためには、その組織が国際的かつ分野横断的に協力して、WDSの
活動を発展させることができるかどうかの比較的厳しい資格審査がありますが、今回当地磁気センターは、
これまでの活動実績と現在のデータサービスおよびその体制が評価されたのか、国内では最初のWDS正規メ
ンバーとして認定されました。このあと、当センターとICSUとの間で協定を締結する予定です。
 ( http://www.icsu-wds.org/wds-members/wds-members/wds-members )
 
 5月9日には、我が国では初めてのICSU International Programming Office (IPO) であるWDS-IPOが情報通
信研究機構 (NICT) に設置され、その開所式が、川幡達夫総務大臣や神本美恵子文部科学省政務官(副大臣)、
ノーベル化学賞受賞者でもあるYuan Tseh Lee ICSU会長を始め要人が参列して、東京国際フォーラムで盛大
に執り行われました。初代ディレクターには、Mustapha Mokrane博士が就任しました。当センターは、今後、
このICSU/WDS-IPOとも緊密に協力して活動する予定です。
 
 
 
 
<金環日食:2012年5月21日 京都大学理学研究科1号館5階会議室より:小田木 洋子 撮影>