News and Announcements [in Japanese]
地磁気センターニュース


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 地磁気世界資料解析センター News No.107   2008年1月21日
 
 
 
1.新着地磁気データ
 
    前回ニュース(2007年11月29日発行, No.106)以降入手、または、当センターで入力したデータの
うち、主なものは以下のとおりです。オンライン利用データの詳細は
(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/index-j.html) を、観測所名の省略記号等については、観測所カタログ
(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/obs-j.html) をご参照ください。
また、先週の新着オンライン利用可データは、
(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/wdc/onnew/onnew-j.html)で御覧になれ、ほぼ2ヶ月前までさかのぼることも
できます。
 
      Newly Arrived Data
 
        (1)Annual Reports and etc.
              HAN, OUJ, NUR, SOD (Aug., 2007)
 
        (2)Kp index: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html)
              Nov. - Dec., 2007
 
 
 
2.AE指数とASY/SYM指数
 
   2007年11月分までの1分値ASY/SYM指数を算出し、ホームページに載せました
(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/aeasy/index-j.html)。
また2007年10月までのProvisional AE指数も上記アドレスからダウンロード可能です。
 
 
 
3.Provisional Geomagnetic Data Plots について
 
  世界各地で測定された地磁気1分値データをプロットしたProvisional Geomagnetic Data Plotの2007年10月までの
ポストスクリプトファイルが利用できるようになりました。図の形式は2日分が1画面です。
(ftp://swdcftp.kugi.kyoto-u.ac.jp/data/pplot)。
 
 
 
4.1897年−1912年の東京(TOK)に於ける地磁気観測(毎時値)の公開
 
   気象庁柿岡地磁気観測所からこのたび1897年−1912年の東京(TOK)に於ける地磁気観測データ(毎時値)が提供され、
当センターから公開させていただくことになりました。百年以上前の貴重なデータであり、太陽活動の長期変動などを調べる上
でも役立つものと期待されます。データのチェックと修正を行われました外谷健・小出孝・吉田明夫の各氏および関係者の
皆さまに感謝致します。なお、当センターには修正前と修正済みの両データセットを提供していただきましたが、オンラインで
利用出来るのは修正済みデータで、下記URLからアクセスしてください。
 
  http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/hyplt/index-j.html
 
 なお、このデータに関して、地磁気観測所・調査課でご用意していただきました記事を、以下に掲載させていただきます。 
 
                                              (地磁気世界資料センター)
 
 
 
5.東京の地磁気観測データについて
 
  気象庁の前身である中央気象台による継続的な地磁気観測は、1897年(明治30年)1月1日に、東京の中央気象台構内
(旧江戸城本丸北桔梗橋門)で開始されました。その後、この地において1912年(大正元年)12月31日までの16年間、地磁気
観測が行われ、その観測結果は年報として刊行されました。市電による観測環境の悪化のため、地磁気観測は1913年(大正2年)
1月1日より柿岡の地で行われることとなり、柿岡での観測が現在に至るまで引き継がれています。
 
 東京で観測した記録紙や原簿などの資料は、残念なことに1923年の関東大震災で全て焼失してしまいました。当時の観測結果を
記録したものとしては、年報が残されているのみです(図1)。年報には地磁気三成分(D,H,Z)および空中電気の1時間値の月表や
磁気嵐のアナログ記録などが掲載されています。地磁気観測所では、中央気象台から引き継いだこの東京の地磁気データ(以下、
東京データ)の活用に向けデジタル化に取り組みました。
 
 東京データ1時間値のデジタル化作業の中で、年報で印刷されている日平均値や月毎の時間平均値を、デジタル化した1時間値
から再計算し比較チェックをしたところ、印刷時の植字ミスと思われるものが少なくないことが判明したため、全期間について
このような誤りの校訂作業を行いました。その結果、約970個の1時間値について修正が行われました。この校訂作業の詳細に
ついては地磁気観測所テクニカルレポート(http://www.kakioka-jma.go.jp/publ/tr/2004/tr_002_2_j.html) をご参照下さい。
このような事情があるため、東京データには年報をそのままデジタル化したオリジナル版と、植字の誤りについて修正を加えた
校訂版の2種類が用意されています。用途に合わせて使い分け下さい。
 
 記録紙や原簿が失われているため、東京データの1時間値がどのように求められたのかは明らかではありません。ただし、
地磁気観測を柿岡に移転した当初は、1時間値として毎正時の瞬間値が用いられていたことから、東京データの1時間値も
同様の瞬間値と推測されます。また、年報の月表は日本標準時の1〜24時を1日分として記載されていますが、今回デジタル化
したIAGA2002フォーマットの東京データでは協定世界時に引き直しています。
 
 東京における地磁気の値を柿岡の値に接続する場合には、1916年に実施された地点差測定結果(下記 砲鯏豕データ
に加えます。その後、柿岡の構内での観測点の移動があったため、その分の地点差(下記◆砲鬚気蕕鵬辰┐襪噺什澆粒漸の
地磁気観測値につながります。なお、現在では、1956年に作られた絶対観測点を柿岡の標準点と位置づけ、1913年の観測開始
以降の柿岡の地磁気観測値はこの標準点に引き直して公表されています。今後も柿岡の構内における観測点の移動はあり
えますが、この標準点の値に補正することになっているため、利用者に新たな地点差の補正をお願いすることはありません。
 
 
 |賄精后1916年:柿岡−東京) H:-265nT、Z:+481nT、D:-5.5′(E+)
◆|賄精后1958年−1913年)   H: +13nT、Z: -44nT、D:-2.7′(E+)  
            合計    H:-252nT、Z:+437nT、D:-8.2′(E+)
 
 
 図2に東京データ1時間値の例を示しました。これを見ると、D成分は比較的安定していますが、H成分とZ成分には大きな
ドリフトが見られます。この原因としては、変化観測が不安定なことや絶対観測できちんと較正できていないことなどが考えられ
ますが、同様のことは初期の柿岡でも見られるものです。地磁気観測所では、このような古い観測データについて、データ処理法
の改善により品質向上が期待できるものもあると考えて、1924年以降すなわち関東大震災後の記録紙や観測野帳・観測原簿が存在
する時期のデータの見直しを行っています。今後も、地磁気データの有効利用促進のため、少しでも信頼性の高い長期間のデータ
セットを整備したいと考えています。
 
 
                                                                                      (地磁気観測所 調査課)
 
 
                         
                             <図1: 地磁気・空中電気の年報創刊号(1897年)>
 
 
 
      
 
      
 
      
 
               <図2: 校訂版による1897年1〜12月分の地磁気1時間値プロット(上からD,H,Z)。
                    横軸は日付、縦軸は磁場で1目盛が100nT、見やすくするため月毎にずらしている。>
 
 
 
 
6.地磁気指数利用論文リストの公開
 
   当センターで算出・公開しています地磁気指数 (AE, Dst, およびASY/SYM) が利用されている論文のリストを作成しつつ
あります。まず今回は、2002年1月から2007年9月までの期間にJournal of Geophysical Research (JGR)およびGeophysical
Research Letter(GRL)の主としてSpace Science分野に掲載された論文からリストアップしました結果を、
 
  http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/wdc/aedstcited.html
 
に置きました。過去5年半余りの間に、上記2つの代表的な国際学術誌だけで、少なくとも約500篇の論文で使用されている
ことがわかりました。目視によるリストアップ作業のため、労力の制約上、超高層大気(aeronomy)および地球内部電磁気学分野は
系統的検索作業から除外しましたので、まだかなりの数の見落としがあると考えられますが、地磁気指数を用いた研究の推進、
新しい研究分野の開拓、あるいは指数の使い方等の参考にしていただけますと幸いです。なお、著者名につきましては、first
authorのみ記載されていますので、このリストを基に引用される場合には、必ず原論文を参照していただきますようお願いします。
今後、順次過去に遡るとともに、他の主要な学術誌および他の分野にも調査範囲を広げてゆく計画です。 図1は、上記作業で
見つかった過去5年間の論文数をグラフにしたもので、各指数毎にもプロットしました。
 
 
      
 
                  <図1: 過去5年間の論文数の推移>
 
 
 
 
7.伊能忠敬の磁針方位角台帳「山島方位記」から19世紀初頭の地磁気偏角を解析して活用する −3
 
<勿体無い・解析活用すれば・まだある伊能忠敬のご利益>
 
    北東アジアでの地磁気偏角の観測データは少なく、日本周辺は明治以降田中館氏とノット氏らによる調査や
     日本海軍の観測により19世紀後半から20世紀初頭に順次整備される前は、極めてデータが希薄である。日本
     には1800年から1816年にかけての、伊能忠敬の全国測量時の詳細な磁針測量方位角台帳「山島方位記」(重文
     67巻約7700頁推定データ数約20万件)が残されており、これを解析して活用しないと勿体無い。
 
     1917年に大著「伊能忠敬」で大谷亮吉氏(当時東京帝国大学、後に京都帝国大学理学部教授)により、「山島
     方位記」から1802年1803年の江戸深川黒江町伊能忠敬隠宅の地磁気偏角の解析結果が発表されたが、大谷
     氏は、伊能忠敬の測定精度の範囲内で地磁気偏角を求めることは有益であるが、各地の測量地点で測量対象
   地点への方位角を測量しなおすことは容易の業ではないだけでなく、伊能忠敬の測量地点を実地に探すこと
     にも困難を感じるので、詳細研究は他日に譲る(誰かにやってもらうしかないの意)とし、長野県三富野宿・
     岐阜県加納宿間及び、四国の阿波那賀郡椿浦(徳島県阿南市)・土佐高岡郡下茅浦(高知県土佐清水市)間、
     伊予ニ名津浦(愛媛県伊方町)・阿波板野郡櫛木(徳島県鳴門市)間での地上測量位置と、天体測量位置との
     比較による推定計算により、文化六年1809年頃の西日本の地磁気偏角を約0°30′西偏程度と推察するに
     とどめ以後解析研究は中断。 
 
 
<90年後の解析再開>
 
    1999年筆者は、伊能図に掲載の対馬から測った朝鮮の山々の同定作業の過程で、伊能測量当時の地磁気
     偏角(磁針方位と真方位との差)の解析作業を開始した。 史料、古文書閲覧、地元教育委員会協議、現地聴
     取、現地測定、解析照合等でかなり手間を伴う困難な作業であることには変わりはないが、現代では国土地
     理院HPの地図閲覧での緯度経度確認、同HPの測量計算式、或いは景観再現ソフト、伊能図、市街地図、住宅
     地図等々の下調べ環境が整い、現地調査へ行くにも交通の便もよくGPSによる緯度経度測定も可能になり、郵
     便やメイルFAX等通信も非常に便利になり環境が整った。 ガウスとウエーバーによる、1830年の等偏角線ア
     トラスの日本付近の大まかな表現との比較の段階へと徐々に迫りつつある。
 
 
<19世紀初頭の北海道・東北・北陸と対馬・種子島の地磁気偏角の傾向> (以下東偏はE、西偏はWとする)
 
    1800年の北海道測量時の方位角データは少なく、測量地点の詳細位置の特定化が困難な場所もあるが、位
     置が判明したものから解析した傾向は、西端の松前の0°43′30″Wから東へ行くにつれ、内浦湾で東偏に
     なり襟裳岬の東の広尾では3°31′Eとなり、釧路2°57′E、更に東の厚岸2°28′Eと再びやや減衰する
     東西方向の変化が見られた。
 
     一方、東西0°の線は、1802年津軽半島脊梁から奥羽山脈の西側を南へ、秋田県湯沢盆地を通り山形県米沢
     へ下り、1803年は新潟県寺泊を通過し、石川県小松市安宅より東側の通過を窺わせる結果となり、これより
     西では西偏し、東では東偏を窺わせる傾向となった。 (地図参照)
 
     一方1812年の種子島での解析結果は、約1°W、1813年の対馬での解析結果は約2°30′Wになり、九州
     方面では南北での変化が窺える結果となった。 北海道、東北、北陸の地磁気偏角は、地磁気世界資料解析
     センターニュース 101(2007年1月31日)、 対馬及び種子島の地磁気偏角は 89(2005年1月24日)を各
     参照。
 
 
<関東・江戸・東海・近畿・中国の解析結果> 
 
    江戸及び関東、東海、近畿、中国地方で判明した地磁気偏角の解析結果を概観する。
     1803年寺泊0°00′より西の佐渡島赤泊0°14′W。 1801年湊(那珂湊)0°05′28″E、 1801年夏海(茨城
     県大洗町)0°02′33″E、1801年銚子飯沼0°26′06″E、銚子犬若岬0°23′59″E、1802年草加0°05′
     21″W江戸深川では1802年0°26′E、1803年0°14′Eと東偏傾向 になり、1805年沼津0°12′E、浜名湖
     荒井関所0°13′E。 1805年の知多半島以西では西偏となり師崎0°13′W、鳥羽0°13′W、石鏡0°
     19′W、大阪0°47′W、 高砂市の石宝殿では1°03′W、1806年岡山市の金山山頂では一旦0°05′W
     になるが福山西方の阿武兎では0°53′W、厳島弥山1°31′W、日本海側の島根半島美保関では1°03′
     Wとなった。(地図参照)  
 
 
 
      
 
 
 
<今回の除外部分>
 
    42.伊勢朝熊奥院地蔵堂脇富士見での測量詳細位置は現在も有る富士見茶屋で1種類2件富士山の方位角で
     あるか゛、解析した角度差は1°58′11.08″Wになり周辺の桑名0°11′伊勢大湊0°14′石鏡0°20′ともか
     け離れている「山島方位記」をよくよく見ると「甚微」(甚だわずか)と小さく添え書きが有り、 日記にも青
     天乍ら濛気遠山見えずとある。 見えても甚だわずかにしか見えないときの異常は六甲山から210kmの加賀
     白山の撮影でも経験したが、濛気発生時には揺れる不安定なプリズム現象が発生し、位置が大きく横ずれして
     みえることがあるので解析対象から除外した。 こういうときはほんのつかの間ゆらゆらしてすっと消える。 
 
     26.三島の2ヶ所での解析結果は、測量対象の富士山の頂上が大きい割りに距離が近い為か0°43′と0°00′
     となり、解析対象から除外しました。
 
 
<今後の調査解析課題>
 
     今後は特に九州の長崎、熊本、鹿児島の各県下を調査し、1812年種子島や1813年対馬の解析結果とどの様に
     つながるかを解明すると同時に、殆ど空白状態の東北地方岩手、宮城県下の調査解析と、火山帯の影響も考
     えられる伊豆半島から伊豆七島の調査解析をしたい。 又、前回調査で、伊能測量地点の寺院が廃仏毀釈に
     よる度々の移転で解析不能となった能登半島の再調査。 1803年の日本海側の寺泊の0°と、太平洋側浜名
     湖知多半島間にあるであろう東偏と西偏の境界0度とが、どの様な関係になるかの調査解析も進め、伊能測量
     当時の日本の地磁気偏角の全体像に一日も早く迫りたい。
 
 
<調査解析余話>
 
     知多半島師崎では、筆者の研究の端緒となった伊能小図を神戸市博物館に寄贈された南波松太郎元東大教
     授(神戸商船大学名誉教授)が、著書「日和山」で、師崎の日和山は、尾張名所図会でも知多半島突端の播豆
     神社の手前(北)の石山で、実際に南側の中腹に行き方角石を見つけたが、後年の宅地造成で山は東西南の三
     方が切られ絶壁となり、南面は削り取られ方角石も無くなっていた。そればかりか、更に後年に全く覚えも
     ないことに500m程南の播豆神社の南側鳥居前に、南波松太郎氏の名前で方角石が再建されており、真相は
     不明と書かれている。 筆者は、危険な崖道ながら勿論石山の方に登って、藪にはばまれながらも近い位置
     になるかと思い、可能な限り南側でGPS緯度経度を測定した。
 
     こうして6種類26件の方位角データから 0°13′58″W の結果を得た。播豆神社の南側鳥居前でのGPS測定
     ではこの様な結果にはならず、尾張名所図会と南波松太郎先生と伊能忠敬の測量位置が一致することの証明
     になり、些少とも報恩となりそうだ。復元方位角及び偏角の性質は、歴史的な山の位置の整合性の確認も可
     能とする。 鳥羽の日和山には南波先生の本の通り方位石が現存し、富士山測量方位角4件で0°13′38″W
     となった。南波先生の「日和山」との絡みは他の場所でも余話があるが次の機会とする。 
                                                        
 
 
                                                                       (辻本 元博−日本国際地図学会会員)
 
 
   (本研究には平成18年度日本学術振興会奨励研究補助金を使用しました)