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地磁気センターニュース


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 地磁気世界資料解析センター News No.108   2008年3月28日
 
 
 
1.新着地磁気データ
 
    前回ニュース(2008年1月21日発行, No.107)以降入手、または、当センターで入力したデータのうち、
主なものは以下のとおりです。オンライン利用データの詳細は
(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/index-j.html) を、観測所名の省略記号等については、観測所カタログ
(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/obs-j.html) をご参照ください。
また、先週の新着オンライン利用可データは、
(http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/wdc/onnew/onnew-j.html)で御覧になれ、ほぼ2ヶ月前までさかのぼることもできます。
 
      Newly Arrived Data
 
        (1)Annual Reports and etc.
              HAN, OUJ, NUR, SOD (Sep., 2007), NGK (Nov., 2007 - Jan., 2008), LRV (2007),
              SYO (2005 - 2006), SFS (2006), SPT, GUI (2005)
 
        (2)Kp index: (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html)
              Jan.- Feb., 2008
 
 
2.AE指数とASY/SYM指数
 
   2008年2月分までの1分値ASY/SYM指数を算出し、ホームページに載せました
 (http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/aeasy/index-j.html)。また2008年1月までのProvisional AE指数も上記アドレス
からダウンロード可能です。なお、2005年分を載せた「MID-LATITUDE GEOMAGNETIC INDICES ASY and SYM (PROVISIONAL)
No.18 (2007)」を出版し配布致しました。新たに配布ご希望の方は当センターまでお申し込み下さい。
 
 
3.Provisional Geomagnetic Data Plots について
 
  世界各地で測定された地磁気1分値データをプロットしたProvisional Geomagnetic Data Plotの2007年  12月までの
ポストスクリプトファイルが利用できるようになりました。図の形式は2日分が1画面です。
(ftp://swdcftp.kugi.kyoto-u.ac.jp/data/pplot)。また、2007年7月から12月分を載せたProvisional Geomagnetic Data
 plots No.36 (Jul. - Dec., 2007)も印刷、配布いたしました。新たに配布ご希望の方は、当センターまでお申し込み
ください。
 
 
 
4.インドAlibag観測所への磁力計設置
 
  3月16日から22日まで、フラックスゲート型磁力計とプロトン磁力計を設置し、毎秒値データの実時間
転送を実現するため、インド地磁気研究所(IIG: Indian Institute of Geomagnetism)が運営する観測所の一つ、
Alibag観測所に、家森と能勢が赴きました。Alibagは当地磁気センターが算出公開しているDst指数にデータが
用いられている世界5観測所の一つで、約10年前にフラックスゲート型磁力計が設置され、故亀井豊永助手を中心
に当センターと情報通信研究機構(NICT)および気象庁が協力して、気象衛星ひまわり経由で毎分値データが12分
遅れの準リアルタイムで日本に転送されていました。しかし、送信機の故障によりこの1年あまり、準リアルタ
イム送信が中断し、かつ、磁力計も老朽化のためベース値のシフトなどで良好なデータがとれなくなっていました。
さらに、インド政府の電力政策の影響で、長時間の計画停電が毎日のようにあり、正常なデータを連続的に取得
することが困難な状況になっています。そこで、当地磁気センターがフラックスゲート型磁力計、プロトン磁力
計、およびデータロガーとインターネット経由の実時間送信のノウハウを提供し、NICTが太陽電池と小型風力発電
機を提供して、毎秒値データのリアルタイム取得という、より進んだ形での再開を目指すことになり、今回の設置
作業となりました。
               
 3月17日に、Mumbai(Bombay)に隣接して開発が進められているNavi Mumbai (New Bombay)にあるIIGの本部(写真1)
で講演とソフトウェアのインストールなどを行い、翌日から21日まで、車で約2時間南の海岸沿いにあるAlibag観測
所にて設置作業をしました。 
 
 
    
   <写真1: インド地磁気研究所にて。中央は
        所長のA. Bhattacharyya教授>
 
 
 今回持ち込んだフラックスゲート型磁力計は温度変化を少なくするため煉瓦造りで二重壁構造のセンサーハウス
(写真2)の中に、他の磁力計センサーとともに設置されました。光学記録式磁力計もまだ健在で、そのため、室内
を明るくすることはで きず、作業は暗闇の中、赤ランプの淡い光のもとで行いました。プロトン磁力計センサー
は、センサーハウスと、データロガー用のPCを置いた小屋の間で、かつて別のプロトン磁力計が置かれていた
場所のすぐ近くの椰子の木の林に設置されました(写真3)。このセンサーハウスは1904年に建てられたという
歴史的価値もさることながら、煉瓦のブロックはほとんど磁化が無いものが使用され、ほぼ完璧と言ってよい造り
になっています。
 
 
       
     <写真2: 煉瓦造り、二重壁構造        <写真3: プロトン磁力計センサー。ケーブルを
          のセンサーハウス。>             埋設するための溝が掘られている。>
 
 
 電力は、普段は220Vの交流電源から取ると同時に、太陽電池とともにバッテリーを充電し、停電時にはそのバッテ
リーからインバーターを介して磁力計やデータロガーPCなどに供給されます。 写真4は、NICTから提供された太陽
電池を設置したところです。風力発電機の設置は、今回の短い滞在中には作業が間に合わず、風力発電機から出る磁場
ノイズの影響の調査と合わせ、今後に持ち越されました。
 
 
   
      <写真4:太陽電池の設置作業。>
 
 
 フラックスゲート型磁力計による磁場3成分測定値は毎秒値、プロトン磁力計による絶対値は毎分値がPCに記録
され、約100m余り離れた計算機室に今回設置されたLinuxマシンから、開通したばかりのADSLを使い、京都とIIGの
本部にインターネット経由で転送されます。詳細は次の記事をご覧ください。ひまわり経由の送信再開については、
故障したパーツの取り替えができないかどうか再度検討することになりました。
 
 今回は、実質4日間の短い滞在にもかかわらず、IIG本部およびAlibag観測所の全面的協力により、ほぼ90%作業を
完了することができました。また、NICTの國武学氏にも物資の輸送をはじめ、たいへんお世話になりました。なお、
この設置作業は、日本学術振興会科学研究費補助金(課題番号17403008および19654073)の計画遂行の一環としても
実施されました。 
                     
                                              (家森 俊彦)
 
 
 
5.インド地磁気研究所(Indian Institute of Geomagnetism)訪問記
 
  2008年3月16日から22日の日程で、インド地磁気研究所(Indian Institute of Geomagnetism, IIG)を
訪問してきました。IIGは、インド西海岸の中ほどより少し北に位置するムンバイ市の郊外(Panvel)に本部が
あり、その他にはインド各地に9箇所の地磁気観測所や南極観測基地、World Data Center for Geomagnetism,
Mumbaiを運営しているコラバ分室(Colaba Campus)を擁しています(図1参照)。今回は、IIG本部から車で約
2時間の距離にあるアリバグ(Alibag)観測所に磁力計を設置し、リアルタイムデータ転送システムを構築する
ことが目的でした。
 
 
   
     < 図1:IIGの施設所在地。今回は、Mumbai(Panvel)の本部と、Alibag
          観測所、Colaba分室を訪れた。(IIGのホームページより転載) >
 
 
アリバグ観測所
 
 アリバグ観測所は、1904年開所の大変由緒ある観測所です。前身は、後にも述べるコラバ観測所であり1841年まで
その歴史を遡ることができます。観測所のすぐ隣まで市街地が広がっていますが、広さ28000平米の敷地内には椰子の
木が生えていて、西に面したアラビア海からの海風が心地よい南国風の観測所です(図2)。
 
 
   
 <図2:アリバグ観測所の敷地内から、観測所のオフィスを望む。>
 
 
観測所では、専門スタッフが4人、その他の日常用務をこなす人が5−6人、合計10人程の人々が働いています。
絶対観測は、担当者が交代で毎日行っているそうです。前の記事にもあるように、変化観測小屋では、1台のプロトン
磁力計、3台のフラックスゲート磁力計、1台の光学式磁力計により、観測が行われていましたが、ここに4台目のフラ
ックスゲート磁力計として今回日本より持ち込んだ磁力計を設置しました。図3は、構築した観測システムおよび
データ転送システムの概略図です。
 
 
   
 
 
 
変化観測小屋に設置されたフラックスゲート磁力計と屋外に設置されたプロトン磁力計からのデータは、データ
ロガー小屋に置かれたWindows XP PCに記録されていきます(図4)。これだけでも観測データを取得することは
できますが、準リアルタイムでデータ転送を行うため、データロガー小屋から約150m離れ た観測所のオフィスに
インターネット接続を用意してもらいました。図5に写っているのはADSLモデム経由でインターネットに接続され
ているLinux PCです。長時間の停電が頻繁にあるため、無停電電源装置とバッテリもそばに用意されています。
このLinux PCとデータロガーWindows XP PCの間は、イーサネットケーブルにより接続されており、SMBによりディ
スクが共有されています。イーサネットケーブルの保証最大距離は100mとのことですので、通信ができるのかどう
か心配でしたが、実際にケーブルを張ってテストしたところ上手くディスク共有ができました。Linux PCからはIIG
本部と京都大学のサーバーに向けて、5分間隔で1秒値データが送信されています。今後は、データ送信の状況を
見て、更に短い間隔で送信することを予定しています。
 
 
           
    <図4:データロガー小屋に設置されたWindows      <図5:観測所オフィスに設置したデータ転送用
     XP PC。右端はプロトン磁力計のコントローラー>    Linux PC。左の棚の上にあるのがADSLモデム。
                                モニターの左横が無停電電源装置で、机の下に
                              ある大きな箱がバッテリ>
                                                          
 
 
 全システムが問題なく動作することを確認した後、アリバグ観測所を出発しました。観測所を離れてから数日の
間は、停電や観測ケーブルの張替えなどで観測・データ転送がたびたび中断し、「果たしてリアルタイムデータ
転送がきちんと動いてくれるのかどうか」とやきもきしましたが、3月25日以降は安定して5分毎にデータが届け
られています。このリアルタイムデータのプロットは、地磁気センターのホームページから近日中に公開する予定
です。
 
 
IIG本部
                    
 IIGの本部は、ムンバイ市の東に隣接する新ムンバイ(Navi Mumbai)市のPanvelにあります(図1、図6)。
2003年に、ムンバイ市内のコラバ(後述)からここに移転してきたということでした。約60人の研究者と技術者が
働いており、地磁気の他にも、電離層、地電流、GPS、地殻、岩石磁気、磁気圏など幅広い分野の研究をカバーして
います。3階建ての冷房完備の研究棟には図書館やカフェテリアも設けられています。研究所の玄関には、「地磁気
研究所」というだけあって2本のプロトン磁力計がテスト観測のため設置されていました(図7)。
 
 
        
         <図6:IIG本部の玄関>            <図7:IIG本部の玄関前でテストされて
                                いるプロトン磁力計と作成者のD'Cruz氏>
 
 
 今回の訪問では、所長のBhattacharyya 教授やAlex教授をはじめ、D'Cruz氏、Pathan博士、Doiphode氏、Nimje氏
に大変お世話になりました。IIG訪問は17日と20日の2日間で、私は20日に講演をする予定になっていましたが、モハ
メッド降誕祭がその日に当たることが直前になって判明し、急遽キャンセルになってしまったことは残念でした。
 
 
コラバ分室
 
 20日の夕方には、IIG本部から車で約2時間の距離にあるムンバイ市のコラバ分室を訪れました(図1、図8)。
ここはもともと1841年からコラバ地磁気観測所として使われていた場所で、インドにおける地磁気観測の発祥となる
ところです。その後、人工ノイズの増加のため、1904年から1906年にかけて観測のみが前述のアリバグ観測所に移動
し、2003年まではIIGの本部として使われていました。現在は、2名のスタッフが常駐し、World Data Center for
Geomagnetism, Mumbaiを運営しながら、近年のデジタルデータの提供と同時に古いアナログデータの整理と保管を
行っています。訪問したときには、マグネトグラムや数値表を保管庫から一旦外に出し、保管庫を改修したあと元
に戻す作業の真最中でした。1800年後半のマグネトグラムの原本を目の当たりにし、100年以上も前にデータを取得
していた人々、それをずっと保管してきた人々に頭が下る思いと同時に、こうした貴重でありながら散逸しやすい
データの今後の取り扱いを改めて考えさせられました。この分室では、デジタルカメラによるデジタルイメージ化
を徐々に進めており、その一部は1900年のものから、地磁気センターのホームページで公開されています。
 
 
        
       <図8:コラバ分室の玄関>        <図9:WDC for Geomagnetism, Mumbaiの正面玄関>                                             
 
 
関連するホームページアドレス
インド地磁気研究所(Indian Institute of Geomagnetism)
http://iigm.res.in/iigweb
ムンバイ地磁気世界資料センター(World Data Center for Geomagnetism, Mumbai)
http://www.wdciig.res.in/
アリバグ地磁気観測所(Alibag Magnetic Observatory)
http://www.wdciig.res.in/alibag.jsp
コラバ・アリバグ地磁気観測所のマグネトグラム(1901年より)
http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/film/index-j.html
 
                                            (能勢 正仁)
 
 
 
6.伊能忠敬「山島方位記」解析研究余話(その2)   
 
  伊能忠敬の測量事績に付いて全体の流れを把握する為いくつか資料や本を読んで年表を作っているうちに、
思わぬことに気付きました。文久元年の日英共同の水路測量の開始と、英国への「伊能小図」譲渡の背景には、
日英の協調によるロシアの対馬に於ける占拠阻止という事情があったということがわかりました。
 ロシアは1799年にアラスカ領有を宣言し、伊能の測量当時のロシアはどちらかというと東の方を向いており、
ロシアの興味は補給地点となる不凍港と不凍の海峡を求めて樺太、蝦夷、宗谷海峡、津軽海峡や択捉、国後方面に
向かっておりました。1799年幕府はロシアの動きに対して、東蝦夷及び附属諸島を松前藩の支配から幕府直轄とし、
8ヶ所に馬継立会所を設置します。1800年伊能忠敬測量隊は、この馬継立会所等を辿って測量を行います。
 
 伊能忠敬はロシアが来そうな海峡を徹底して測量しております。
「山島方位記」でも、国後島知床岬根室半島を眼前にした蝦夷の珸瑶瑁ゴヨウマイ水道、津軽海峡等では海峡の
対岸を測量したデータ件数が、周辺に比較して大変多くなります。中でも朝鮮を眼前にした対馬海西水道はデータ
数が突出して多くなります。
「山島方位記」に記載の対馬からの朝鮮測量データは合計16ヶ所から重複を入れて19回、測量方位角総件数は792件
にも及んでおり異例の多さと言えます。
 
<伊能図は何故作成されたのか?>
 
 伊能図の作成に至る経緯を物語る実に貴重な聴き取り記録が、対馬藩の宗家文書「測量御用記録」(対馬歴史民俗
史料館)に残っております。1813年伊能忠敬は、対馬北端での朝鮮測量の前に、それまで壱岐からずっと付き添って
案内手配をしてきた対馬藩郡方(オゴオリガタ)中村郷左衛門に、地図測量のそもそもの原因はロシアからの防衛に
あったことを話しております。(渡辺一郎編「伊能忠 敬測量隊」)
 
 対馬藩測量御用記録五冊之内三番には文化十三年四月十二日に鴨居瀬村からの測量の船中で・・・
差向キニ内話有之候ハ・・・・外ニ間宮林蔵と申豪勇之者も有之・・・・其外彼是内々之咄事も有之、ケ様国々之
図相糺候も元来ヲロシヤより相起候趣等委曲被申聞 とあります。(簡約 入江正利氏 伊能忠敬長崎県測量日記編)
 
 伊能忠敬が対馬藩の中村郷左衛門に話したこの懸念は、実にその48年後の1861年の未曾有の侵犯事件となった、
露艦ポサドニック号による対馬の浅茅湾芋崎占拠島民銃殺事件で現実化します。
文久元年(1861年)二月三日から同年八月十五日(全撤退は八月ニ十五日)迄、露艦ポサドニック号が、対馬西岸中央に
深く入りこむ浅茅湾の奥の芋崎で、幕府に無断で井戸を掘り兵営を建設し、東西の海を切り通した船越を舟で探索に
行き、阻止しようとした島民を殺すという事件になります。
 
<ロシアの極東進出の背景>
 
 1856年にロシアは英国等ヨーロッパ諸国と敵対したクリミア戦争に敗戦し、戦費がかさみ、1799年に領有を宣言
したアラスカの経営も思わしくない為、モンロー主義のアメリカへのアラスカ売却を念頭に(1867年米国に売却)、
ネルチンスク条約(1689年)で獲得できなかった黒竜江(アムール川)南岸から豆満江迄の沿海州に目を付け、これを
1858年のアイグン条約で清との共同管理とし、ついで万延元年1860年の北京条約でこれを取得していきます。
 
 阿片戦争以後の英国の中国進出を気にしだしたロシアは先手を打とうとします。この時点で対馬はロシアの直接の
影響が非常に深刻な地域に変化していたのです。
 
<門外不出の伊能小図が閲覧希望から僅か十一日で英国に譲渡された背景>
 
 従来の説では、幕府は英国による水路測量が当時の攘夷の嵐を避け測量が測深等だけで早期に済む様に門外不出
の伊能図を譲渡したのではないかと推定されておりました。
 
<年表作成で新しくわかってきた事情>
 
 しかし、伊能図の閲覧願いから、僅か11日間で門外不出の伊能図の譲渡に迄至った事情を考察しますと、もう
ひとつ同時に進行していた露艦ポサドニック号の退去交渉を、英国へ依頼するという切羽詰った事情を無視して
語ることはできないと考えます。
 
 文久元年(1861年)二月三日以来の対馬でのロシアの占拠事件に対して五月十八日に外国奉行が対馬に交渉に行って
も、露艦ポサドニック号の退去交渉は埒が開かず進展しません。六月十日には函館奉行にロシア領事と折衝させます。
 幕府は一方で英国から出た長崎・箱館間水路測量の希望を、七月四日に、日本人乗り組み測量と測量成果の譲渡を
条件に認めます。 この時点で既に幕府の方針は、ロシアと相対する英国との協調路線に踏み切っていたのではない
かと、私は考えます。
 
 七月九日、十日の両日に、懸案露艦ポサドニック号の対馬からの退去交渉を、老中安藤信正は、自宅で英国公使
オールコックと英国艦隊ホープ提督に、膝詰めで依頼します。
 その直後の七月十二日(ホープ提督の神奈川出発日前後の頃)、房総半島館山に停泊の、英測量艦アクテオン号(ワー
ド艦長)に乗り組みの外国奉行支配下の荒木済三郎から、乗り組みの日本人役人一同が英国側からの地名等々の質問に
説明ができない為、幕府の軍艦方に保管の伊能小図を廻して欲しい旨の願いが出ます。
 
  幕府は七月十五日に伊能小図を届けます。この伊能小図を一見したワード艦長は、今回測量しても経緯度も
含めこれ程に迄精密になるものではない、測深と浅瀬等を書き入れると直ちに水路測量が完成するとして、七月
十九日に幕府に対して伊能大図、中図のうちの一部を借用したいとの乗り組みの外国奉行支配下の役人を通じて
の申し出と、更に自らガンボートで神奈川迄出向いてオールコック公使を通じての申し出も出します。 
 
 これに対して幕府は七月二十二日に伊能大図、中図は江戸城の火災の折に焼失したとして、伊能小図のそのまま
での譲渡の許可指示を老中安藤信正自身が出しております。
 七月二十三日英国艦隊ホープ提督は浅茅湾の湾口を封鎖し、二十四日露艦ポサドニックの艦長を説得しただけで
なく、更に沿海州のオリガのロシアの基地に乗り付け、面会を申し込むも不在とわかると書簡を置いて去ります。
この結果、ロシアは八月ニ十五日に残らず対馬から退去します。
 
 幕府は、飽くまでポサドニック号事件の解決を第一義として東欧でもアジアでも絶えずロシアの天敵となった
英国との協調信頼関係を固め、強引な手段で対馬を占拠しようとしたロシアを、以後撃退し続けようとしたもの
と考えます。なによりも現実にロシアに武力で国土が占拠されては、全く幕府の存在の根底に拘わることです。
英艦への乗り組み測量で、英国の測量を手伝い最新の測量技術を学び、沿岸を固めるべく測量成果を譲ってもら
えるものの、英艦による水路測量は長期にわたることになり、停泊は勿論、陸上の補足測量、食料調達その他での
上陸でその都度地元との混乱は必定です。先ずこの問題を大きく解決したのが、伊能小図の譲渡です。沿岸測量が
省け、沖合いの測深と浅瀬の測量程度になれば、攘夷勢力との混乱が少なくなります。
 
 一方英国は天敵ロシア駆逐の正当な機会を得て積極的になります。水路測量を通じて日本との連携を深め、日本
周辺でのロシアを牽制し続けることになります。英国の予想を上回る精度の測量地図伊能小図の譲渡で、手間な
沿岸測量が省け、測深浅瀬測量に集中し、攘夷による武力衝突の危険が無くなるだけでなく、海図の製作出版が
決定的に早くなります。英国測量艦隊は、伊豆から瀬戸内海経由で浅瀬と水深等のみを測量して、2ケ月で長崎に
帰着します。こうして日英は、お互いに積極的な接点を見つけたものと考えます。伊能図は、外交の大事なところ
で大きな効果を発揮したといえます。
 
 勝海舟は「一朝事有れば対馬は東洋必争の地であることは歴史上でも明らかだ。」・・・・中略
「弱肉強食虎視眈々の世界にあっては兵備を厳しくして国境を固めることは勿論であるが、遠くの強国とも互いに
信義を約し、その強国により他の強国を制する術も取らなくてはならないのだ」と説いております。
 (勝海舟全集17 開国起原掘⊂ヽそ全集18 開国起原)
 
 またこの譲渡により、伊能図は世界の海図という舞台での新たなる働きを果たすことになります。英国海軍海図
2347号Japan and Korear1863年刊行 に、「日本は日本政府の地図により編集された」というコメント入りで刊行
され、日本に対する基本的な信義が表現されたと言えます。
 
 当時は海洋航海が世界を制する時代であり、世界一の海洋国家であった大英帝国は、精確な伊能小図によるこの
改訂で、威信を得たことになります。今もって英国は、世界一の海図製造販売国です。
 
 伊能忠敬の測量事績の様に、内容のしっかりした科学技術の業績は、思わぬ様々なところでも世界の安定と繁栄に
貢献し得る大きな力を有しているものだと、改めて認識させられました。
 
 
 
(本稿の更なる詳細検討は、別の機会に行うものとする)
 
                                    (辻本 元博−日本国際地図学会会員)
 
 
 
 
7.2007年のkp指数図表
 
  2007年のKp指数図表 (Bartels musical diagram) を下に示します。オリジナルは
ftp://ftp.gfz-potsdam.de/pub/home/obs/kp-ap/music/
の下にあります。
 
Kp指数の数値 (1932年以降) 、及び1990年以降のKp指数図表は
http://swdcwww.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html
からご利用になれます。 最新のKp指数は原則として翌月半ばには利用可能となります。
 
 
 
   
   <2007年のKp指数>